ホーム | 日系社会ニュース | 好実績、玉木投手引退へ=「広島」に9年、プロ生活11年=アチバイア野球部惜しむ=「コロニアのファンにお礼を」

好実績、玉木投手引退へ=「広島」に9年、プロ生活11年=アチバイア野球部惜しむ=「コロニアのファンにお礼を」

2006年10月6日付け

 ブラジル出身で、日本のプロ野球界でもっとも傑出した成績を残した玉木重雄エンリッケ投手(35)が、四日、アチバイア野球部の指導者辻修平さんに「引退する」と連絡してきた。〇六年まで所属した楽天ゴールデンイーグルスから「来期、契約しない」との通知を受け、引退を決意したもの。今後の進路は不明だが、できれば球界に残りたい、と希望している。
 玉木投手のプロ野球生活は、九六年(広島カープ入団、〇五年楽天に移籍)から十一年、その成績はすばらしい。
 三百七十三試合登板、三十四勝二十三敗、八セーブ、五百九イニングス投げ、防御率3・87。
 七一年生まれの日系三世。アチバイア野球部で五歳から野球を始め、カスパル・リベロ高校卒業後に社会人野球の三菱自動車川崎に入社、ここで頭角をあらわした。九五年秋の日本選手権で優勝、最優秀選手賞を獲得、法政大学とのアマ王者決定戦では、六回無失点だった。
 広島カープが注目し、九六年、ドラフト三位で指名、プロ入りした。
 広島では、九年間、頼れる中継ぎの主力として貴重な存在だった。〇三年に右肩を負傷したが、翌〇四年に復活し、三十七試合に登板するなど、ブラジル人ならではのスタミナのあるところを見せた。右投げの投手ながら、左打者には強く、フォークの被打率が非常に低いのが特徴だった。
 〇五年、楽天に無償トレード。
 日本に行った当初は、言葉や野球に対する姿勢の違いに戸惑ったそうだ。「ブラジルでは野球は楽しんでやるものだったのに、日本では練習、また練習で、試合前に疲れてしまった」。二年目に肩を壊した。故障中、日本語を学び、日本の「和」について学んだという。
 アチバイアの辻さんは、四日、「コロニアの野球ファンおよび関係者のみなさんに、感謝とお礼を伝えてくださいとのことです」と伝言を伝えた。一方で「ブラジル球界が生んだ最高の選手が引退します。指導したわたしたち、またアチバイア野球部にとって、たいへんさびしいニュースですが、心から、エンリッケ、よく頑張った、お疲れさま、とかれに言いました」と述べた。
 文協ビル内にある移民史料館には、広島東洋カープ時代のユニフォームが飾られている。

image_print