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4つの慶事1度に祝う=アルジャ=節目の式典に200人=入植80周年、新会館落成

2006年11月18日付け

 八十年の節目に新会館落成――。アルジャ文化協会(横山泰幹会長)で十二日、文協創立七十周年および同婦人会創立三十周年の記念式典が約二百人の出席のもと行われた。またこの日は、来年に控えた同地日本人入植八十周年の式典をあわせて開催したほか、建設を進めてきた新会館の落成式も挙行。〃花の町〃アルジャの日系社会にとって、四つの慶事を一度に祝うめでたい一日となった。
 アルジャへの日本人草分けは、一九二七年に炭焼き監督として入植した天野衡義氏(山梨県、当時21)。二九年に北海道出身の小笠原尚衛氏が一族約四十人を連れて同地に入植。その後トマトなどの野菜栽培が盛んになっていった。戦前には五、六十家族の日本移民が暮らしていたという。
 日本人会設立は三六年。第二次大戦中は活動停止を余儀なくされたが、戦後四七年にアルジャ文化協会として活動を再開した。現在の会員は百二十家族。
 この日落成した新会館は広さ八百㎡。同協会では四九年に建設した旧会館に改修を加えながら現在まで使用してきたが、老朽化が進み新築を決定。〇四年から工事を進めてきた。文協各部門や、企業、会員などの協力を得て、当初の目標だった〇八年より二年早く、落成の日を迎えた。
 午前九時、会館正面で来賓一同がテープカット。仏式の慰霊法要に続いて行われた式典で横山会長は、文協を創立した先人に敬意を表わすととともに、会館建設の協力者に感謝。「この文協は、みなさんの文協。これからもこの会館を使っていろいろな活動をしていきたい」と語った。
 三十周年を迎えた婦人会会員は現在七十人。川岸貴美子会長は「未来を担う子や孫が日本文化を絶やさず受け継いでいくことが先輩の恩に報いること。これからも縁の下の力持ちとして活動したい」と述べた。
 式典にはジェネージオ・セヴェリーノ・ダ・シルバ市長はじめ丸橋次郎首席領事、JICA、援協、文協、老ク連などサンパウロ市、近郊から日系団体関係者が訪れた。
 市長は新会館の落成に祝意を表わすとともに、「花祭り」のほか、二つのゴルフ場、そしてニッポン・カントリー・クラブなど、日系社会と市の深い関わりを挙げ、その貢献を称えた。
 舞台では文協歴代会長、婦人会長、功労者に感謝状を贈呈。尾山誠・親和会長(元文協会長)が代表して謝辞を返した。
 昼食会に続き舞台では記念のアトラクションが行われた。階上では臨時の展示会も開催。アルジャの歴史資料や会員による絵画や手芸品、書などが訪れた人たちの目を引いていた。
 ヅットラ街道もまだなかった八十年前。日本人入植当時は千人ほどだったアルジャの人口は、現在、約七万人まで増えた。「アルジャも変わったけど、ここは今も、温暖で住みやすいところですよ」と話すのは、七十六年間同地で暮らしてきた玉田伯夫さん(78、宮城県)。にぎわう会場で「新しい会館もできた。これからは若い人にもがんばってもらって、ますます立派な文協にしてほしい」と話していた。

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