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幾多の人材輩出したバタタ王国=ブラガンサ・パウリスタ連合日会=50年誌「光と影の記憶」発刊=「一世最後の仕事」

2006年12月2日付け

 昨年十一月十九日に創立五十周年を祝ったブラガンサ・パウリスタ連合日本人会(辻正美会長)の記念誌『光と影の記憶』を先日発刊された。一年がかりの力作で、辻正美さんを編集委員長に、七人の同委員が尽力して、資料集めなどをして完成させた。日ポ両語で計四百頁の力作。訳執筆編集は日毎叢書企画出版が担当した。
 編集委員の一人、前園敏之さん(73、鹿児島県出身)は「一世最後の仕事」と記念誌を位置づける。「移住初期の苦労を次の世代に伝えていきたい」。五百部を印刷し、会員を中心に頒布している。
 今回は日本語で編集しポ語に翻訳した。「ポ語にそのまま直訳しても、二世の人にピンとこない表現になる。その辺が苦労した」。資料を集めるために、大勢の協力があったという。「次回からはポ語で作ることになるだろう」。
 サンパウロ市から北東の約八十キロにあるブラガンサは、日本のプロ野球で活躍する玉木エンリッケや、サンパウロ州刑務所管理局長官を務めた古川長らを輩出したことでも有名だ。
 同地の学生寮である奨学舎に入り、同地のバイレで妻と出会った古川元長官は、現在も協会への協力を惜しまない。二世が中心になって取り仕切った昨年の式典にも出席し、「世代交代の見事な成就の跡を拝見して感銘深い」とあいさつした。
 辻会長は三世で三十二歳。三年前の就任時は二十九歳、全伯の日系連合会中でも最年少会長と推測された。二十人いる理事の半分以上が二世であり、世代交代は顕著だ。
 会員は約百七十家族と、連合会の割に所帯は大きくないが、着実に世代交代を進めて成果をあげている。
 最初にこの地に移り住んだのは〃組合の神様〃と呼ばれた青木林蔵だった。下元健吉が組合を創立するに当たって、何度も指導を仰いだといわれる。
 一時は〃バタタ王国〃の名をほしいままにし、その生産がコチア産組で一、二位を争ったこともあった。
 「でも今じゃ、イモ作りは一軒もいない。みなセラードに移ってしまった」と前園さんは寂しそうにいう。
 かつて協会が赤字になれば篤志家の寄付を集めたが、今年から生ビール祭を始めた。地元のブラジル人がたくさん集まり、二回とも成功裏に終わった。前園さんは「寄付で運営する時代から、考え方が変わった」と世代交代の効果を強調する。
 記念誌では第一部に移住概史、奨学舎組合の結成、連合日本人会の統合、会館の建設、コチア産組倉庫の興廃とコチア青年、バタタ王国の盛衰、政治・司法・行政への進出。第二部に存続を賭けた新たな挑戦、日本文化の継承者、会の裾野を広げる、産業の推移と現状、生活環境の向上を目指して──などの項目で詳述されている。

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