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100歳表彰で165キロ出張――利光さん感激、顔面染まる――リオ総領事館=粋なはからい

2006年12月19日付け

 【リオデジャネイロ】リオ州レゼンデ市在住の利光逸治さん(熊本県天草出身)が、去る五月百歳を迎え、さきごろ、日本政府から表彰された。リオ総領事館は利光さんの体調を配慮して、リオから百六十五キロのみちのりを車で走り、親しく賞状を伝達した。利光さんは正装して、車椅子に乗り、福川正浩総領事が読み上げる祝詞(しゅくし)をきいた。感涙にむせんでいることが、祝いにかけつけた人たちにも察しられた。
 去る七日午前九時、福川総領事夫妻、今川健領事、鹿田明義リオ州文体連理事長の一行は、利光さんに百歳表彰状を伝達するために、ズトラ街道をレゼンデ市に向かった。ふつうはリオ市内の総領事館に招いて伝達式を行うのがならわしだが、利光さんの歩行が不自由のため、総領事みずから手渡して祝うという特段のはからいだった。
 総領事の出張はあらかじめ伝えられていた。午前十一時、利光家の門前に公用車が停車すると、早朝から準備していた家族、親戚一同、レゼンデ市内、近郊の日系人有志が両手を挙げ、歓迎の意を表した。利光さんは車椅子に乗ったまま。総領事の「おめでとうございます」のていねいな言葉に、自由に動かなくなった首をもどかしげに動かして顔面の一部を紅く染めた。返礼の言葉は口ごもるだけだった。賞状には銀の祝杯が記念品として添えられていた。
 利光さんは一九〇六年生まれ。日本で高等小学校を卒業、小学校の代用教員に。移住を志して東京の殖民学校に入学、崎山久佐衛教授に学んだ。
 二五年、十九歳のとき、マニラ丸で渡伯、サンパウロ州内パウリスタ線ジャボチカバル駅サンジョゼのカフェ園で二年間就労。その後マリリア管内のサンタマリア耕地に移り、六年間契約農として働いた。寒波・降霜の被害を受け、棉作で再起。
 マリリアに見切りをつけたのは、太平洋戦争の開始時。日本語を使うのが不自由になったことが「教育家の利光さん」に暗雲を感じさせたという。
 結婚し子宝に恵まれていた。四一年、レゼンデに借地、野菜園芸を習い、飛躍を遂げた。レゼンデは標高六百メートル。土壌が野菜栽培に適したところだった。機械化し、潅漑もおこなった。生産物の販売も北にリオ、南にサンパウロと市場があった。特にトマテ栽培で成功した。
 利光さんは殖民学校でキリスト教の洗礼を受けた。いまでは家族全員が洗礼を受けている。(中村博幸さん通信)

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