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『ブンバ!』編集部に異色の女性加わる=自称〃ブラジル残留孤児〃=ミリアンさんに「日伯の架け橋」期待

2007年1月23日付け

 日本語で広くブラジル社会を紹介する情報誌『ブンバ!』の編集部に、非日系の女性が働いている。ミリアン・ビッテルさん、二十一歳だ。父親がドイツ人、母親がブラジル人。きりっとした笑顔が似合う彼女は、このほど発売された『ブンバ!』最新号の表紙モデル。そんなミリアンさんは、母親が日系人と再婚したのを機に、日本で十二年間、生活。十六歳のときに帰伯し、現在は〃ふるさと日本〃につながる仕事をしたいと、『ブンバ!』で日々研鑚を積んでいる。
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 〃外人扱い〃されることが一番傷つくんです――。
 ミリアンさんはいわゆる「金髪の外人」だ。国際化が叫ばれて久しいが、「日本人はまだまだ自分たちと外見が違う〃ガイジン〃に慣れていないし、壁があると思う」。
 「日本人として育った私には、外人という言葉にまず壁を感じます。あなたたちとは違う〃外部の人〃と聞こえる。言われるたびに傷つきましたね」。
 ミリアンさんは父親の仕事の関係で、アフリカ南部のスワジランド王国に生まれた。しかし、間もなく両親は離婚。二つ年上の姉と一緒に母親の故郷であるブラジル北東部、セアラ州の祖母の家に引っ越した。
 家族の大黒柱となった母親は、サンパウロで仕事をはじめた。ミリアンさんはそのあいだ祖母の手で育てられた。言葉は当然ポルトガル語だった。
 そのころ母親はサンパウロで日系人男性と再婚。それを機に母親と新しい父親は日本にデカセギへ。ミリアンさんと姉は、母親の呼び寄せで日本へ移り住むことになった。ミリアンさんが四歳のときだった。
 母親の仕事の関係で、十歳ごろまで東京各地を転々。学校は東京の公立小学校、中高一貫の私立校に通った。「日本の学校は好きでしたね」。学生時代、一番好きな科目は国語。ブラジルにはない跳び箱やマット体操がある体育の成績はいつも「オール5」の成績だった。
 母親がふたたび離婚し、日本人一世と結婚。長男が生まれたが、自閉症の症状を抱えていた。一家は長男の教育のためにブラジルに戻った。
 「ブラジルに戻ることはとても嫌でした」。帰伯後はフォルタレーザの高校に通った。「すっかり頭が日本語で。基本的な会話さえもうまく話せなく、先生が言っていることもよくわかりませんでした」。
 カルチャーショック。「何をしても無気力」。うつ状態が続いた。姉はブラジルでの生活が八カ月たったころ、限界になって日本に〃帰った〃。
 私の場所はここじゃない―。高校卒業後は地元でモデルとして働いたが、日本への思いは募るばかり。家族は一昨年、ミリアンさんをおいて、日本へ戻った。後を追って日本へ行こうとしたミリアンさんはビザを取得できなかったため、帰ることができなかった。在日中に永住権の申請もしていなかった。
 ブラジルの日本総領事館に何度も問い合わせたが、渡航許可はおりなかった。「落ち込んでいてもしょうがない。サンパウロに出れば、日本へいけるステップになる」。そう決意した。
 ミリアンさんが『ブンバ!』で仕事を始めたのは昨年十一月ごろ。日本語とポルトガル語を生かせる仕事をしたいと考えていたところ、知り合いから『ブンバ!』編集員の仕事を紹介され、面接を申し込んだのがきっかけだった。
 現在は日語、ポ語での原稿のチェックやホームページの更新をおこなう。将来の日本での仕事のために経験を積む毎日。「言葉を生かして翻訳をやれたら」。そう夢も話す。
 細川多美子編集長は「彼女は私たちが持っていない人生経験がある。編集部内に新たな視点や価値観も加わる。日伯の友好の架け橋になってほしい」と暖かく見守る。
 「私はブラジル残留孤児なんですよね」。そう笑うミリアンさん。最後に自分は何人だと思いますか?とあえて質問をした。「国籍ではブラジル人。でも心ではやっぱり日本人。難しい質問です」。そう笑顔でこたえた。

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