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「やったことを後悔している」=桧垣容疑者=追っ手に怯える心情吐露=祖父は画家の桧垣肇さん=01年まで東洋街に在住

2007年1月27日付け

 「日本から〃何か〃が追いかけてくるんじゃないかと、いつも怖かった」。一九九九年に静岡県浜松市で女子高生の落合真弓さん=当時十六歳=がひき逃げされて死亡した事件に関して、帰伯逃亡した桧垣ミルトン・ノボル容疑者(31)は〇一年に市警第十六署で事情聴取され、そう日々の鬱々とした気持ちを語っていたことがニッケイ新聞の調べで分かった。しかも桧垣容疑者は逃亡後、〇一年ごろまでリベルダーデ区ガルボン・ブエノ街に居住。お爺さんは画家の桧垣肇さんであることも分かった。
 「自分がやったことを後悔している」。調書には、桧垣容疑者の心境が克明に綴られている。日本の警察当局の要請を受け、市警が〇一年四月二十七日に取り調べを行った。この当時、桧垣容疑者はガルボン・ブエノ街に住んでおり、インターネット技師として働いていた。
 愛知県名古屋市に住んでいたが、仕事が見つからず、母親の住む浜松へ引っ越しをしようと、友人の車を借りて荷物を運んでいる時に起きた。九九年七月二十六日午後十時二十二分ごろ、国道百五十二号線の浜松市内を通過中、「車体の左側に衝撃を感じた」と供述する。
 「速度をゆるめて駐車場所を探そうと思った。後ろを見ると、自分の方に向かって何人もの人が向かってきたので、スピードを上げて逃げた」
 逃げた理由は「デカセギは日本で酷く差別されているから、事故現場に残ったら何をされるか分からず怖かった」のだという。
 「血のようなしずくがフロントガラスに付いているのに気が付いた。誰かをはねてしまったかもしれないと想像した」。人気のない場所に車を停め、ナンバープレートを外し、姉妹に電話して迎えに来てくれるように頼んだ。姉妹には事故のことをしゃべらず、就職の面接を受け、母親の家に行った。その後、車の持ち主に連絡をとり、ナンバープレートを外したなどの事情を説明した。
 「事故があったからブラジルに帰った訳じゃない。最初から帰る予定だった」と供述している。帰る予定だったのに、なぜ事故後に就職の面接を受けたのかは不明だ。
 帰伯後も誰にも事故のことを告げず一人で鬱々と隠していた。「日本の姉妹からの連絡で、警察が捜しているとの情報を聞いた父親から、日本で何かあったのかと聞かれ、ようやく話した」という。
 やったことを後悔しており、日本からの追っ手の影に怯えていたことを供述している。市警からの出頭命令を受け、そこで初めて被害者の名前や年齢、死亡したことを知った。

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