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■記者の眼■――――「桧垣の名が…」=遺族に陳謝の言葉を

2007年1月27日付け

 「桧垣の名が…」。ある親族は苦渋の表情を浮かべてつぶやいた。親族の立場から何かコメントがあれば、という記者の質問に対して「特にコメントはありません」と繰り返していたが、ただ一言、そうつぶやいた。
 桧垣肇さん(愛媛県出身、1908―1998)はサンパウロ・ビエンナーレ(国際美術展)の第一回展(一九五一)に出品した有名な画家だ。東京で絵を学び、二九年に来伯。コーヒー農園で働いた後、サンパウロ市の美術学校に通い始めた。
 日系作家のパイオニアたちの集まりだった聖美会のメンバー。具象の風景画で知られ、〇四年十月にはサンパウロ州議会で回顧展が行われたばかりだ。
 別の親族は「やっぱり現場に残って、怪我人の手当をするのは当然。逃げたのは悪い」と言い切る。
 親族によれば、桧垣容疑者は帰伯逃亡後にサンパウロ市で結婚し、子供を二人もうけた。桧垣肇さんの長男、同容疑者の父ヒロシさんは昨年九月に病気で亡くなった。同容疑者も長男だ。
 「デカセギは日本で差別されているから怖くなって逃げた」と供述した桧垣容疑者。ブラジルでは、少女強姦などの凶悪犯を、警察に捕まる前に民衆が襲いかかってリンチする事件が後を絶たない。三世である容疑者の脳裏には、そのような残虐な光景がよぎったのかもしれない。
 日本社会に対する無知が、被差別意識を助長する土壌を生んでいるようだ。
 しかし、自らの逃亡行為が在日同胞に対する〃日本人からの差別〃を助長するような結果を招いてしまった。まじめに働いている日系人は悪い噂を立てられ、さらに辛い状況になった。
 とはいえ、同容疑者は殺人犯や放火魔、強姦犯などの凶悪犯ではない。初めての代理処罰だけに、日本マスコミの注目が集まるのは仕方ないが、本当に裁かれるべき凶悪犯はまだ余裕で国内を逃げ回っている。
 自らも子の親になった今、二月六日からサンパウロ市で行われる裁判で「桧垣の名」を汚さぬ態度をもって罰を受け、被害者遺族へ陳謝してほしい。    (深)

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