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60周年迎えた「やまとクラブ」=混乱期の日系社会支え=今も月例会で親睦温める=母国救援運動にも尽力

2007年1月30日付け

 コロニアの有識者により戦後はじまった懇談会「やまとクラブ」がこのほど発足六十周年を迎え、記念の夕食会が二十四日、サンパウロ市内のレストランで開かれた。文協、援協、商工会議所など、コロニア団体の代表者も多く参加した同クラブ。在伯日系社会が混乱の中にあった戦後の時代から今日まで、陰からコロニアを見つめ続けてきた存在だ。
 「やまとクラブ」の発足は一九四六年十二月。第二次世界大戦の終結後、ブラジル日系社会で起きた勝ち負け抗争の際、認識運動の一環として有志が開催した時局懇談会がそのはじまりとなった。発足会員は二十人。当時の世情を考慮し、当初は頼母子講として集いを持っていたという。
 クラブでは月例懇談会のほか、敗戦国日本にララ物資を通じて救援物資を送る運動なども促進していた。また、戦中に活動を休止した在伯日系団体に代わって、日本から戦後来伯したスポーツ、芸能団体関係者の応対などにも携わっていたという。
 会場は当時サンパウロ市営市場の近くにあった新トキワレストラン。創立会員には、サンパウロ日本人会会長を務めた矢崎節夫氏や、同仁会医師の細江静男氏、武田義信氏、また竹中正・元援協会長の父である竹中儀助氏(竹中商会社長)や破魔六郎氏(破魔商会社長)など実業関係者や、その他にもサンベルナド瑞穂植民地で母国救援運動に携わった松本竜一氏や、造型作家の大竹富江さんの夫、大竹丑夫氏や伝田耕平・元南米銀行会長の父、伝田寛一郎氏なども参加していた。
 コロニア人士の集まりだった同クラブ。歴代の参加者には延満三五郎、中沢源一郎、藤井卓治といった「御三家」の会長経験者や会議所会頭をつとめた橘富士雄南銀会長、田中義数、水本毅といったリベルダーデ商工会歴代会長なども出席していたという。
 現在の会員は二十七人。現役を離れた人も多い。九五年に鈴木孝憲さん(デロイト・トウシュ・トーマツ最高顧問)が代表幹事に就任してからは、進出日系企業・機関の関係者も増えてきたそうだ。
 五二年に渡伯後、五五年に入会。当時の会員としては唯一健在な原沢和夫・元援協会長(82)によれば、当時は同仁会の診療所がトキワレストランの上階にあり、会員には市場関係者が多かったという。「私が入ったころは、母国救援物資に対する礼状が届いていましたよ」。戦犯の遺族からも礼状が来ていたという。
 日系団体の代表者たちがコロニアの時事問題について意見を交換してきた同クラブ。時代の移り変りとともに会の目的も親睦へと変わってきたが、六十年経った今もほぼ毎月、食事会は続けられている。
 記念夕食会の当日は会員、夫人など二十人以上が集ったほか、西林万寿夫在聖総領事夫妻も出席。食事を囲み懇談した。
 「当時は戦前からの錚々たる先輩たちがコロニアの問題などを議論していて、大変勉強になった。今日の私があるのはやまとクラブのおかげです」と話す原沢さん。「(六十周年は)感慨無量の一言。これからも続いてほしいですね」と話していた。

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