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田中祭典委員長が辞職届=百周年協会=式典予算の削減を受け=映像委も仕切り直し=「この予算では無理」

2007年2月9日付け

 「私は請負業者ではなく、設計者。あの予算では無理。私の設計した家は建てられない」。〇八年六月二十一日に予定されている式祭典の計画に携わっていた田中洋典祭典委員長が二日、辞表を提出した。まだ受理はされていない。予算の削減を求められ、最終ラインとして提示していた四百二十万ドルを一日行われた執行委員会で二百八十万ドルにまで引き下げられたことを受け、「(自分のやりたかった)百年の歴史をパレードで表現するというものはできない」と辞意を固めた経緯を語った。松尾治執行委員長は、「もし受理されるのであれば、後任は今のところ誰もいない。式典やパレードの準備は、すでに担当者がすすめている。田中さんのやっていた仕事を分担する必要があるだろう」と話している。
 疲れました――。二年以上にわたり、式祭典の舞台となるサンボードロモの選定、計画、地方説明会などに奔走した田中氏は、憔悴した面持ちでそう繰り返した。
 「収入の見込みがないまま、計画をすすめた見切り発車。けど、当時の幹部から『金のことは心配せず、進めて欲しい』といわれていたんですよ」と不満をにじませる。
 今月二日の西林万寿夫在聖総領事の訪日に合わせ、予算調整が執行委員会内で行われた。田中氏は、総予算の半額を占める四百二十万ドルの式祭典費用のさらなる削減を求められ、「これ以上予算を下げられたら、自分の考えているものができない。そうなれば辞めるしかない」と松尾治執行委員長、中谷レナット財務委員長らに話したという。
 しかし、最終的に予算は二百八十万ドルにまで引き下げられ、「これでは無理」と判断したという。
 精神的プレッシャーからか、先月末には体調を崩し、自宅で静養するほど疲労していたという。
 なお、委員長を務めていた映像委員会も百二十万ドルから二十万ドルへの予算引き下げ。今月六日には元邦字紙記者らを中心に構成された委員たちに解散通知書を郵送している。
 これらの件に関して、松尾執行委員長は、式典に関しては元サンパウロ州儀典室次長の福原カルロス氏、二部にわたって行われる祭典のパレードは、芸能委員会、元カルナヴァレスコの成戸稔氏らがすでに実務にあたっていることを説明、「新しい祭典委員長は必要だが、これからも田中さんに色々お願いすることもあるだろう。映像委員会は、JICAの元関係者に依頼している」と話している。
 「人間関係が本当に難しい。(今回の田中氏辞任など)人事がゴタゴタすると、色々と影響がでてくる」と頭を痛めながらも、「何があってももうビックリしない。文句を言う間があったら、仕事をする。もうせざるを得ない」と職務遂行の強い意志を語った。

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