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■ひとマチ点描■韓国移民史に残る日系2世

2007年3月8日付け

 現在編纂中の韓国移民史に1章をさいて紹介される予定の日系二世がいる。その名も下平尾哲男さん(二世)=写真=、大阪なにわ会会長として有名だ。
 1963年2月12日サントス港着のチチャレンガ号が、韓国移民の〃笠戸丸〃だが、その一年前にきた先発隊の唯一の生き残りコー・クァン・スン(Ko Kwang Soon)さんも「みんな下平尾さんに本当に世話になった」と証言する。
 当時の韓国移民の多くは、日本移民にも懐かしいコンデ街の下の方に〃韓国村〃を作って住んでいた。坂の上にあるジョン・メンデス広場に弁護士事務所を構える下平尾さんは、法律面から親身になって支援した。
 初期韓国移民はポ語を解さなかったが、戦前の教育の関係で日本語を話すものは多かったため、下平尾さんに相談が集中したという。「店を開けたくても最初は保証人がいなくて苦労しました」。その奮闘の末に、現在、南米服飾界をリードするジョゼ・パウリーノ街の繁栄がある。(深)

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