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広告代理店、日系の草分け=『JUNCO』が創立40周年

2007年3月10日付け

 広告代理店『JUNCO』(坂和三郎社長)が今年、創立四十周年を迎えた。広告レイアウト、パンフレット、TVフィルム製作などを手掛けてきた、この業界では日系の草分け的存在だ。
 JUNCO(ジュンコ)はフランスの哲学者、パスカルの言葉で有名な「考える葦」にちなんでいる。「葦は細いが柔軟性があり、踏まれても大きく成長していく」との思いから、坂和さんはこのポルトガル語訳を社名にした。
 坂和さんは、現在の貨幣価値で約五万レアルの資本金をもとに、一九六七年、同社を一人で設立。最初の仕事となった三菱重工業の広告代理業務を成功させ、その後は順調に業績を伸ばしてきた。
 一九八八年にはビジネス誌の評価で、一千社以上あった全伯の広告代理店の中から四十七位の業績を収めるまでに成長。社員も二十五人にまで増えていた。
 九二年には、ミノルタ社協力のもと、サンパウロ教育局とサンパウロ市の中高等学校の生徒を対象に、ブラジルでいち早く、古新聞などのリサイクルキャンペーン運動を展開、社会活動にも貢献した。
 また日本移民八十周年記念祭典会場の装飾や、九〇年六月、サンパウロ市イビラプエラ体育館で開催された日本・大相撲ブラジル公演のコーディネータ役、JETRO主催の「日本工業見本市」の実施協力などを手掛けた。
 坂和さんは大学卒業後、一九五五年に自由渡航者としてブラジルに移住。パウリスタ新聞社記者、丸紅、カーザ東山商事などの勤務を経たあと、「経営者として独立」に踏み切った。
 「正直四十年間もよくやってこれたなって思います」。坂和さんはこうしみじみ振り返る。最近は通信・コンピュータ技術の発展にともない、設備投資もかかる。顧客も仕事の速さを追求する。休む間もない日々が続く。
 「それでも、ぼくはこの商売があっているんだと思います。お叱りを受けても簡単にはへこたれたれない性格なんですよ」。
 そう話す坂和さんに会社運営のモットーを聞いてみた。「誠実に、丁寧に、忍耐強く、それが一番ですね」。そう笑顔で話した。

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