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JICAと日系社会=共に歩んだ半世紀

2007年4月21日付け

 国際協力機構(JICA)は二〇〇三年十月一日、前身の国際協力事業団の独立行政法人への移行にともない発足した。その歴史は、戦後のブラジル移民再開にさかのぼる。
 第二次世界大戦中に途絶したブラジルへの日本移民は、戦後、一九五二年のアマゾン移住により再開された。
 国策として海外移住を進める日本政府は五四年、日本国内での移住者選考および送り出し、移住先国での受け入れなどを行なう公益法人「(財)日本海外協会連合会」を設立。
 翌年には移住地造成を目的とした「海外移住新興株式会社(株)」が発足し、ブラジル現地法人として、移住地造成や営農指導を行なう「ジャミック移植民有限会社」および、移住者への融資を行なう「ジェミス信用金融株式会社」が設立された。
 移住振興が造成した主な移住地としてはバルゼア・アレグレ(一九五七年、南マットグロッソ州)、フンシャール(同、リオ州)、グアタパラ(六一年、サンパウロ州)、ピニャール(同、サンパウロ州)、第二トメ・アスー(六二年、パラー州)など。また、移住振興の時代には北伯で、グワポレ(ロンドニア州)、キナリー(アクレ州)、ベラ・ビスタ(アマゾニア州)、エフィジェニオ・サーレス(同)、タイアーノ(ロライマ州)などの移住地にも関係している。
 政府の移住事業はその後、日本の経済復興にともなう移住者送り出しの減少により、既に移住した人の支援へと重点が移りはじめる。そして一九六三年、移住者送出、支援業務を行う組織として、海外協会連合会、移住振興が統合され、「海外移住事業団」が発足。
 ジャミックは移住者受け入れ、始動などの移住事業のほか、営農指導や電気導入などの援助、子弟への教育、医療など多岐に渡る移住者支援事業を行なってきた。
 一方で日本政府は一九五四年、アジア太平洋地域諸国の経済・社会開発促進を目的とした「コロンボプラン」への加盟を機に、開発途上国への技術協力を開始する。技術協力事業は六二年、「海外技術協力事業団」の設立にともない一元化。
 そして七四年、同団体と移住事業団、海外農業開発財団などが統合され、国際協力事業団(JICA)が誕生した。
 JICA発足後、八一年にはジャミック、ジェミスが閉鎖。政府の移住事業は一つの終わりを迎える。移住者受け入れ業務は農拓協に、医療、教育などの支援事業は全伯各地の日系団体へと委託された。
 現在は毎年の技術研修員や日本語教師訪日研修の受け入れ、農業関係セミナーや、各地の日系団体が実施する巡回診療への助成などを行なっている。
 従来の移住者送出に変わり、八六年からは海外開発青年制度が開始、同制度はその後、日系社会青年ボランティア、日系社会シニアボランティアと形を変えて受け継がれている。

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