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外国人就労、問題が山積=後藤博子参院議員「解決していかなければ」=元移住者で唯一の国会議員=国民新党、大分から再出馬

2007年6月22日付け

 【東京支社=藤崎康夫支社長】七月五日公示、同月二十二日、投票開票という参院選日程が、国会会期延長でずれこみそうである。ブラジルとの関係が深い後藤博子議員(59)は、今回は参院選比例区で立候補を表明していたが、五月三十日急きょ、大分選挙区(改選数一)からの出馬を表明。同選挙区からは自民党公認、共産党公認、社会党推薦、民主党県連支援の候補が立候補を表明していたが、国民新党公認の後藤議員が加わり、五候補で一議席を争うことになった。同候補に、選挙区立候補について、インタビューした。

――二期目の出馬について。
「参議院は一期六年ですが、成果を得るには二期、三期が必要です。やらなければならない問題がいっぱいです。女性が勉強する場も必要です。子供の教育も画一的では個性が生かせません。核家族による家庭崩壊が進んでいます。外国人労働者問題、日系人の問題もあります。これからも取り組んでいかなければならない問題ばかりです」。
――教育といえば、ブラジルで日系人子弟の教育に関わっていたのですね。
「私は別府大学短期初等部教育科で勉強しました。教育問題については、常に強い関心を抱いてきました」。
――後藤議員は移住された経験をもつ唯一の国会議員ですが、渡伯は何年頃ですか。
「一九八二年です。工業移住者として渡伯しました。夫が技術者でしたので」。
――移住当時のご家族は。
「私達夫婦に六歳の長男と三歳の長女です。長男は小学校に入学したばかりでしたので、学校生活は、ブラジルから始まりでした。当初は、言葉がわからず戸惑いもありました」。
――マナウスで、ブラジルの子供を教えたそうで。
「日本語と日本の伝統文化を教えました。楽しい日々でしたね」。
――二〇〇三年、サンパウロ市で開かれた戦後移住五十周年祭に、日本の国会議員として、ただ一人参加しましたね。
「あのときは日伯議員連盟を代表して、議長代行で行きました。私にとって、このときが初めての〃里帰り〃で、非常に感動的でした。マナウスにも足を伸ばし、教え子たちと涙の再会をしました。みんな大きくなっていました」。
――先生は、いつもブラジルや移住問題、日系人のことには、深くかかわっています。例えばブラジル大使とブラジル人在住者の多い大泉町などを訪ね、町長はじめ町の関係者と話し合い、県費留学生問題に関わったり、また外国人労働者問題協議会の活動を支え、関連省庁との間に立ち、問題点を追求してきました。
「外国人就労者の子供の教育、社会保険問題、制度問題、定住問題など解決していかなければなりません」。
――今回、比例代表での立候補を表明していましたが、急遽、大分選挙区から出馬することになったことについてお聞きしたい。
「地方を守ろうと郵政問題で自民党と袂を分かちました。比例より大分選挙区で出馬した方が、私の信念をわかってもらえる、と思いました。地方は国の命で、日本の根っこです。それをないがしろにしたら国は滅びます。その思いを大分県の人にまずわかってもらいたかったのです」。

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