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井上祐見クリチーバ公演=来年は新曲『笠戸丸』を=「みんなの想いを聞かせて」=特別な移民の歌『ソウ・ジャポネーザ』

2007年7月13日付け

 【クリチーバ発】「来年は『笠戸丸』というタイトルの新曲をひっさげて帰ってきます」。今年九回目の南米ツアーとなる演歌歌手、井上祐見さん(31)=横浜在住=のパラナ州都クリチーバ公演が七日、同日伯文化援護協会(山脇ジョルジ会長)の講堂で盛大に行われ、約二百五十人が一回り成熟した歌唱力と語りを堪能した。
 自他共に認める「コロニアが育てた歌手」である祐見さんにとって、移民百周年は記念すべきデビュー十周年でもある。折しも同地で計画されている百周年記念公園の目玉として笠戸丸の錨を引き上げる企画が進んでおり、山脇ジョルジ会長からその話を聞いて、『笠戸丸』という曲を作ることを思いついた。自身が一回りして原点に戻る意味でも、ふさわしいテーマといえそうだ。
 祐見さんは「どんな想いを曲に込めて欲しいか、みなさんのご意見を聞かせてください」と呼びかける。中嶋年張マネージャーも「もう作曲家の先生にも話を通し、内容の検討を始めました」と意気込む。
 午後四時に始まった公演では、最初に山脇会長が昨年からクリチーバ公演を始めた経緯を紹介した。
 白い打ち掛けをアレンジした清楚な衣装に身を包んだ祐美さんは、デビュー曲の『青春譜』を熱唱する際、大嶋裕一副会長をステージにあげて可愛らしい振り付けを一緒に踊り、恥じらう副会長の仕草が会場の爆笑を誘った。
 花柳龍千多さんの特別出演をはじめ、同地文協の舞踊部、龍千多会のみなさんが歌に合わせて舞い、舞台をいっそう盛り上げた。愉快な第一部に対し、第二部ではじっくりと聞かせた。
 七歳で歌手を目指して練習をはじめ、二十一歳で檜舞台へ上がった。「デビューする夢は叶ったけどなかなか売れない。もう辞めようかなと思ったこともあったが、母が『中途半端で辞めるな』と支えてくれた」と珍しく個人的なエピソードも披露。二年前に亡くなった父へ親孝行できなかった思いを込めて『人生が二度あれば』などを歌った。
 日本人移民のために作ったオリジナル曲『ソウ・ジャポネーザ』の時、会場は静まりかえり、終わったとたん、会場からは今公演で最も大きな拍手がわき上がった。六年間歌い込んだこの一曲に、特別な感想を持った来場者が多かった。
 公演のあと、同地在住の久保オルランドさん(60、三世)は「素晴らしい。『ソウ・ジャポネーザ』は我々のことを歌ってくれている。何か格別な感じがする」と興奮さめやらぬ様子だった。
 奥山定夫さん(72、二世)も「この曲を聞いたら、親から聞いた話を思いだしたよ」という。「両親はいつも日本のことを話していたが、結局一度も日本の土を踏むことなく亡くなった。皮肉なことに、私は六回もデカセギにいったが」としみじみと語った。
 祐見さんは十二日からウルグアイで二公演をし、十六日にはサントス厚生ホームを慰問、十八日夜にはサンパウロ市の海外日系人大会夕食会で歌う予定。

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