2007年7月19日付け
リオで開催中の米大陸最大のスポーツ祭典・パンアメリカン大会では、続々と日系選手による活躍が報じられている。その原点をふりかえる意味で、記念すべき第一回大会に参加した渋谷洋祐さん(74、二世)に話を聞いてみた。
「現在も野球をやっています」と顔を綻ばせながら語る渋谷さんは、一九五一年にアルゼンチンのブエノスアイレス市で行われた「第一回パンアメリカン大会」で、野球のブラジル代表として参加していた。当時十七歳だった。
この時の大会では、アルゼンチン代表に勝っただけだったという。感想を聞くと「観客が多くて仲間も監督もかなり緊張していた。僕は最年少だったので周囲を気にする余裕はなかった」と語りながら、「おかげで試合に出場できました」と笑みを浮かべながら話した。
渋谷さんはバストス生まれ。十二歳の頃に近所の子供たちが集まって野球をやったのが初めて。当時は新聞紙やテニスボールを野球のボールに見立てて遊んでいたという。
その後、四六年ごろバストスに初のチームができた。四八年に行われた第一回ブラジル少年野球大会に投手として参加し、チームの準優勝に大きく貢献した。
少年野球時代にはずっと選抜チームに召集された。両親や兄弟が仕事を必死にしてくれたため、野球を続けることができ、選抜の合宿にも参加できた。
「野球を辞めるつもりの一大決心で、パラナ州へ写真家になるための修行をしに向かった。でも、地元日系人に自分が野球をやっていたことが分かってしまい、結局は、あちらでも初日から野球をやっていました」と笑う。
現在はバラフンダ区にあるジガンテ球場で、毎週水曜日に集まって練習している。また、日曜日には七十二歳以上のチームの試合にも参加している。
最後に「勉強という勉強をしていない私には、野球しかない。野球から人生を学び、そのことを仕事に生かしたい。死ぬまで野球を続けたい」と野球に対する気持ちを話してくれた。