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ペルー地震=被害最悪のピスコ=崩れた教会から次々遺体

2007年8月22日付け

 ペルーの太平洋岸沖で十五日に発生、死者五百人以上の被害を出した大地震。中でも震源地に近かった南部の都市ピスコでは建物の倒壊により大きな被害が出ている。本紙の取材により、イカ市で同地在住の日本人、山野隆さんが死亡していたことが判明。さらに首都リマの日系社会でも救援の動きが始まっていることが分かった。共同通信の現地レポートと合わせ掲載する。
 【ピスコ(ペルー南部)17日共同=本蔵一茂】崩れ落ちた教会のがれきの中から次々と遺体が運び出され、広場に並べられる。砂漠地帯の直射日光にさらされ、漂う異臭。「ああ母さん」「どうして、どうして」。頻繁に余震が続く中、変わり果てた姿の家族を見つけた住民が次々と泣き崩れた。十五日ペルーを襲った大地震で最も激しい被害が出た太平洋岸のピスコに十七日、記者が入った。普段は静かな田舎町は修羅場と化していた。
 ピスコ中心部のサンクレメンテ教会では、約三百人が参加してミサが行われている最中に地震が起き、正面の外壁だけを残して天井の大部分が崩落。大半の人々が生き埋めになった。
 「性別はどっち」「子どもはいるの」。発生から二日が経過しても続く捜索を数百人の住民が泣きはらした目で見守り、消防隊が黒いシートに包まれた遺体を搬出するたびに、必死の形相で詰め寄る。時間の経過とともに薄れる希望。皆、がれきの撤去作業で町中に漂うほこりをかぶって薄汚れ、疲れ切った様子だ。
 警備員のカルロス・メンリケさん(28)も食い入るように捜索を見詰めていた。ミサに行きたいという弟(12)と妹(9)を車で教会へ送った直後、地震が起きた。「ミサの後でチョコレートを買ってね」と言って別れた妹の笑顔が脳裏に焼きついて離れないという。
 取材に応じてくれたことに礼を言って別れようとしたところ「実は…」と切り出した。妻(23)と長男(4)が乗ったタクシーが、崩壊したビルの下敷きとなり二人とも死亡。母も教会での死亡が確認されていた。
 「昨日午前に妻と長男を、午後に母を埋葬したばかり。たくさんのことが一度に起こりすぎて、理解が追いつかないんだ」とうつろな目になった。「なあ、どうして僕だけ生きてるんだろう」
 震源地に近かったピスコでは「八割以上の建物が全半壊」(消防隊員)の状態。五階建てのホテルは一、二階部分がつぶれ、約三十人が生き埋めのまま。ほかにも「うめき声が聞こえた」「がれきの下で携帯電話の着信音が鳴った」などの情報があり、町中で生存者の捜索が続いている。
 十七日になって二百人近い医師団や救援物資が首都リマなどから続々と到着。教会前の広場には、水やコメを受け取る被災者の長い列ができた。

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