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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2007年9月12日付け

 ブラジル国の大統領や各州知事は、それぞれのトップ(長)として、よく「メウ・ゴヴェルノ」と言う。端的な表現だと解釈し、違和感はない。安倍首相もよく演説やスピーチの中で「私の内閣で憲法改正を――」と言っている。日本国民の中には、選挙で選ばれたくせに、私の、とは何ごと!という思いの人がけっこう多いことを最近知った。どうも独裁者の台詞(せりふ)のように受け取られるらしい▼近頃の論調では、なんでもかんでも話し合い、コンセンサス(合意、同意、賛同)を得てから、コトを進めようとしても、そうはなりにくい、いっそ強力な指導者に「良きに計らってもらったほうがいい」などというのもある。指導者を信じて託す、である▼日本移民百周年の年まで四ヵ月足らずとなって、事業を推進する協会の役員たちは努力はしているのだろうが、まだ〃百周年事業の姿〃が明確に見えて来ていない気がする。あるいは、進展しているのだが広報が不十分なために見えないのか▼思えば、百周年協会発足の当初「メウ・ゴヴェルノ」「私の内閣」ならぬ「私の協会」といった台詞(せりふ)は聞けなかった。実行力のあるワンマンがいて、どんどん仕事をし「オレについて来い」などというふうに事態が展開していたら、周りから文句や苦情が噴出しただろうか。昨今、強力な指導者が出現しにくい世の中になっているのはよくわかる。コロニアでもそうだ。だからこそ、待望論や期待論があるのだと思われる。(神)

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