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村人の歩みを後世に=沖縄・読谷村人会=8年越しの記念誌完成=カッペンの悲劇も記録=28日に出版祝賀会

ニッケイ新聞 2007年10月20日付け

 「ブラジル読谷村人会のあゆみ―1969~2007」がこのほど完成した。沖縄県・読谷村(よみたんそん)からの移住者・子弟などで作る同会の歩みを、関係者の寄稿、座談会などとともにまとめたもので、構想から八年の年月を経て出版にこぎつけた労作だ。ユンタンザンチュ(読谷村人)の移住の歴史を後世に伝える同書。編集委員長の知花眞勲さんなど関係者が来社、「やっと日の目を見ました」と喜びの報告をした。出版祝賀会が二十八日午後四時から、沖縄県人会ビラ・カロン支部会館で行われる。
 ブラジル読谷村人会(知花良信会長)は一九六九年十月、「在伯読谷村人同志会」として三十二人の有志が創立。再来年には四十周年を迎える。現在の会員数は百七十八家族(九百七十四人、〇四年四月現在)。
 新年会や敬老会、親睦ピクニックなどの恒例行事のほか、九三年から現在まで十人ほどの村人子弟が母村で研修している。
 このたび完成した「読谷村人会のあゆみ」は、九九年、会創立三十周年の記念誌として発刊を企画。沖縄の母村からも費用援助を受け編集を進めたが、停滞していた。その後、昨年四月に宮城あきらさん(沖縄県人会評議員会書記)ら新たな委員を迎えて編集を再開。ようやく発刊の運びとなった。
 全二百九十八ページ。村人会の記念誌としては「初めてではないか」(宮城委員)というほどの本格的なものだ。
 創立から現在までのあゆみや、三十周年式典の様子、会員の移住体験記、座談会などを掲載。村人移住史の項では、沖縄移民の研究を専門とする森幸一・現USP教授の論文・調査報告も掲載している。
 「時間が過ぎて、村に申し訳ない思いでした。(沖縄に)帰るに帰れなかったですよ」――。構想から約八年、編集委員長の知花眞勲さんは、本の完成に心から安堵した表情を見せる。
 読谷村からは笠戸丸で十二人が渡伯、戦前に九十七人、戦後は二百六十六人がブラジルに移住した。戦後に集中している背景には、同村の大半が戦後米軍用地として収容されたことも影響している。
 ブラジル在住者の中には、ボリビアからの転住者や、同村から多くが移住、劣悪な環境で全世帯が転出したカッペン植民地(マット・グロッソ州)への移住者も多い。村人会の創立は、こうした転住・転出移住者の相互扶助の目的もあったという。
 記念誌では特に、カッペン植民地に関して多くのページを割き、入植者の体験談などを掲載。その一人である知花委員長も、カッペン撤退後、約八年に渡って各地を渡り歩いた自身の体験をつづっている。
 宮城さんは委員就任後、同村出身の笠戸丸移民を調査。その結果、これまでは七人とされてきた笠戸丸移民が十二人であったことも判明した。そのほかにも、プレジデンテ・プルデンテの村人移住者の歴史など、遠方の取材も行ってきた。「埋もれた歴史や移住地の悲劇を、どう歴史に残すか、考えさせられました」と、完成までを振り返った。
 同書は六百部を印刷。出版にあたってはスダメリス銀行(現レアル銀行)の協力を受けた。ブラジル国内の関係者に配布するほか、母村、村内二十三の字、公共施設などに送る。
 二十八日の祝賀会には約二百二十人が出席する予定という。当日は記念の琉球芸能舞台なども披露される。知花委員長は、「委員の皆さんが昼夜を問わずやってくださったおかげで、やっと日の目を見ました」と感謝の言葉を語った。

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