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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2007年10月25日付け


 昔は結核が多かった。日本だけではなく、国際的なものであり、移民たちも同じである。カ・ド・ジョルドンの「さくらホ―ム」も元々は結核のサナトリオであり、肺を病んだ移民たちが療養に励んだところである。当時は、化学療法も未発達で治療の仕方も余り進んではいない。これが患者激増に繋がったのかもしれない。だが―もう一つ、食事が貧しかったのも大きい▼幕末から明治の頃、日本にやってきた欧米の医師らは、日本の食事を見て余りの栄養不足に驚いたそうだが、事実、今のグルメ時代の想像を超えるほど貧しかった。豊後(大分県)の臼杵藩の武士たちの食べ物も、飽食とは遠い。「朝は粥、昼は麦飯。副食は朝昼とも大根や瓜などの漬物で、夕食にみそ汁をたく。1日、15日のみ野菜の煮付けか、雑魚を食べる」と、大分歴史辞典にあるという▼これでは西洋の医者でなくとも、あまりの貧弱さに驚き、結核菌にも負けてしまう。その列島人が美食を求め大いに食べるようになったのは70年代になってからだろう。と、同時に肥満社会になり、結核とは縁遠くなったかわりに心臓病などの成人病が流行する。社長は肥満人であり、貧は痩身の話がさながら「真実」の如くに語られ、我も我もと肥る▼アメリカもまったくの肥満大国であり、今や痩身鶴の如き―が理想体型とされる。「豊かさの象徴だった肥満は、貧困の象徴」と呼びかけ警告する専門家がいっぱいだし、痩せるためのスポ―ツが盛んになっている。肥る食事も敬遠され、麦飯に漬物の江戸ではなく、刺身や煮物、焼き物が付いた「和食」が人気なのも頷ける。(遯)

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