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キューバ沖縄移民百周年=ブラジルから13人参加=「来年はぜひサンパウロに」

ニッケイ新聞 2007年11月13日付け

 キューバ沖縄移民百周年式典が十月二十七日、同国青年の島(フベントゥ島)の映画館で開催された。キューバ沖縄県人会が中心となり、同式典実行委員会(ジューリョ・イハ・ロドリゲス実行委員長)が主催した。
 母県からの訪問団二十六人に加え、ブラジルからも県人会を代表して金城ルイス理事、および招待客合わせて十三人が出席、北米やメキシコの県系人も集まり、計約二百人が初期移民の苦労をしのび、一世紀の節目を祝った。当日は高松明駐キューバ日本国大使も列席。金城理事が九日に来社、その様子を説明した。
 同理事は式典で挨拶にたち、「来年八月にサンパウロで行う沖縄移民百周年にも、みなさん参加してほしい」と列席者全員に呼びかけた。キューバ県人会の饒平名(よへな)アントニオ会長らも「ぜひ参加したい」と応えたという。
 これを報じた沖縄タイムス記事によれば、仲井真弘多知事の祝辞を大城眞幸交流推進課長が代読。「キューバの県系人は戦後困窮した沖縄に物資や救援金を送り、支援した。幾多の困難を乗り越えた先人のたゆまぬ努力に心から敬意を表する。百周年を機にキューバと沖縄の交流が深まり、関係強化できるよう県としても取り組む」と述べた。
 キューバ沖縄移民第一号は、一九〇七年にフベントゥ島へ移住したとされる宮城勝次郎さん。その出身地、大宜味村の村長からの祝辞も代読された。米国ハワイ県人会からはビデオでメッセージも寄せられた。
 同地県人会の若手メンバーは沖縄太鼓、蛇三線、沖縄空手、民謡などを次々に披露した。金城さんは「人数が少ないながらも、沖縄文化が確実に継承されている姿が印象的だった」とのべた。最後はカチャーシーを全員で踊り、県系人としての絆を再確認した。
 金城さんによれば、ブラジルからの訪問団がハバナ空港に到着したとき、現地の約二十人がキューバ国旗と沖縄県旗で熱烈に歓迎したという。同地には二~六世までの県系子孫約四百人の在住し、「ほとんど一世はいない」という。

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