ニッケイ新聞 2008年1月15日付け
【愛知県発】保見団地内には二校の公立小学校がある。両校ともブラジルをはじめとする外国人児童の割合が三割、四割を超える。
入管法改正の前年に開校した西保見小では、〇七年度の一年生は、日本人の数を外国人が上回った。
公立とは言え、小学校内には日ポ両語で掲示物が貼られたり、日本語教室や通訳のスタッフが配備されたりと、ブラジル人児童への配慮が至るところに見られる。
昨年末の学芸会では、全校合唱の際、サビ(曲のなかで最も強調したい部分)だけがポ語に訳されて歌われ、日本人児童の生活にもポ語が溶け込んでいることが窺えた。
そのような保見団地内の小学校へ通うエコパフの子供たちには、小学校内の日本語教室が必要な子はおらず、皆日本語が達者だ。
あるとき、カンチーニョのクラスへ、まだ残っていた昼間のクラスの子供が入ってきた。
「あ、これ僕のだ」と落ちていた鉛筆を拾うと、その子からカンチーニョの子供が鉛筆を奪う。「え?これ俺のなんだけど」。日本語を使って周りの仲間にアピール。
日本語がわからなかった昼間のクラスの子供は、先生になだめられて教室から出て行った。
ポ語を普段使っている昼間のクラスの子供たちと、公立小学校へ通う日本語もわかる子供たちの間には、何らかの壁が感じられるときがある。
昼間のクラスの児童たちが、学校の前で長縄跳びをして遊んでいた。周りの子供がポ語の遊び歌を歌い、それにあわせて一人がいろいろな振りをつけて跳ぶ。
早く到着したカンチーニョの子供を、先生が誘ったがなかなか参加しない。
外へ出ようと声をかけると、「あの子たちと遊びたいの?」と批難の色が混じる声。
「一緒にやりたくないの?」とさらに尋ねる。
「だってわたしブラジルの掛け声わからないもん。一人縄跳びのほうが好きだし」と一人用のとび縄を出してきて、横で遊び始めた。
やがてカンチーニョの児童も多くなってくると、混ざるようになったが、先生が声をかけなければ、自然と一緒に遊ぶことは少ない。
保見団地では、外国人であることや、ポルトガル語を話すこと、混血であることも珍しくない。それ「普通」と感じる子供たちだが、さらなる微妙な区分けがされているようだ。
ポルトガル語で勉強する子供と、日本の小学校で勉強する子供、違いはどこにあるのだろうか。
「日本語がわかる親は子供を小学校に入れる。わからないと、入れられない。それがいちばん大きい」と校長は話す。
日本語がほとんど話せないブラジル人教師のクリスチーナも「自分の娘は公立の学校に入れない。わたしも娘も何もわからないで日本の学校に行かせるのは不安でしょ」と自らの考えを教えてくれた。
日本の学校へ通うかどうかというのは、親が子供に何語で教育を受けさせたいか、にかかっているわけではないようだ。
そのような中で、親世代が保見二世たちに与えたい教育とはどういうものなのだろうか。また学ばせる場所を選択できる日は来るのだろうか。
ブラジルで日本移民は二世に高学歴を身につけさせようと大学に入れたが、同じことは日本では起きていない。大学どころか、高校進学さえ数が少ないのが現状だ。
移民百周年の節目を迎え、日本のブラジル人社会の教育は、日本語を勉強してここに定住するのか、それともポ語を学んで帰伯するのか、大きな選択を迫られている。いずれにしても、教育は必要であり、難しい課題に直面している。
(秋山郁美)
連載(上)=日本の教育現場レポート=保見団地のデカセギ子弟=ブラジル人校は憩いのひととき=ブラジル式に切る替わる
連載(中) =日本の教育現場レポート =保見団地のデカセギ子弟 =増える準二世や二世 =ブラジルの習慣教える