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鹿児島研修生が帰国=日伯の違いを実感

ニッケイ新聞 2008年2月2日付け

 ブラジルと鹿児島県との交流を目的とした「鹿児島県農業・語学研修生制度」第七期生の研修期間が終了に近づき、一月三十一日、三人の研修生が帰国報告のために本紙を訪れた。七期生の研修生は五人で、その内三人が四日に帰国する。
 「ブラジルから日本へ行く人は多いが、日本からブラジルへ行く人が少ないから、ブラジルへ少しでも多くの若者を送ろう」との考えから始まった鹿児島県主催の同研修制度。研修生は各日系団体で研修を行っている。
 秋山倫子さん(32、鹿児島)は日本で英語の教師をつとめた経験を生かし、ピラール・ド・スール日本語学校で教鞭をとった。
 「子どもに教える前に自分で勉強しなければならなかった。標準語だと思っていたが、実は方言だったと分かったこともあった」と体験談を語り、「帰国後は日本語教師の資格を取りたい」と意気込みを述べた。
 ニッケイ新聞社で秘書の仕事を手伝っていた大里樹理さん(28、鹿児島)は「日伯においての仕事の仕方、習慣の違いを実感した」と感想を語り、「日本では元々サービス業をしていたので、今回の秘書の経験を生かしていければ」と今後の抱負を口にした。
 「百年経った今でも日本語が使えるのが驚いた」と開口一番に話したのは、ショーエイ出版社で編集や取材に携わった下山扶有さん(22、鹿児島)。
 「日系社会から抜けられず、ポ語が覚えられなかった」と悔しそうに話しながらも、「日系社会を見るのに良い機会だった。今後はデカセギについても知識を深めていきたい」と力強く話した。

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