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「父は臣道連盟だった」=ジョルジ・オクバロ氏講演=2世が語る勝ち組の歴史

ニッケイ新聞 2008年5月3日付け

 「父は臣道連盟の一員だった」。昨年、父親の移住史をたどったポ語著書『O Sudito: Banzai Massateru(臣民=万歳、正輝)』(ed. Terceiro Nome)を出版した、ジャーナリスト歴四十年のジョルジ・オクバロさん(61、二世)は四月十五日晩、サンパウロ市のSESCビラ・マリアーナで行われた講演会で、そう語り始めた。
 約四百人の聴衆は約一時間半にわたって、引き込まれたように保久原家の歴史を軸にした移民百年史に聞き入った。
 これは二〇〇〇年に刊行されたフェルナンド・モラエス著のポ語『Coracoes Sujos』に触発されて書きはじめたものだ。ベストセラーとなりジャブチ賞まで受賞した同書は、暗殺事件のセンセーショナルな側面に焦点を当てて書かれているが、オクバロさんはその内容に納得できなかった。
 それぞれの事件を小説風に描くことで緊迫感を持って読める同書は、特種な事例に終始しており、日本移民全体の心理の深みに迫っていない、とオクバロさんは案じた。例えば自分の父親のようなケースは説明できない、むしろ、無名の移民全体の実像はそこからもれてしまう、との危機感を抱いたという。
 オクバロさんは「あれでは、当時八〇~九〇%が勝ち組だったといわれる日本移民の大半が同じようだった思われる可能性がある」と思い、この本を書こうと決心した。
 まず、〇一年二月十日付けジョルナル・ダ・タルデに一頁をさいて、父の実話を通して無名の〃臣民〃の姿を描いた。父は臣道連盟の一員として警察に逮捕、裁判にかけられたが最終的には無罪放免になった。
 家族の歴史をたどりながら「なぜ父は沖縄を出たのか、出ざるをえなかったのか」「移民船の生活はどのようなものだったか」「ブラジルに到着してどんなことを感じたのか」という自問自答を繰り返した。
 一八年、父親は沖縄県島尻郡から移住、モジアナ線サンマルチンス耕地に入植した。当時の気象情報まで調べ、零下二度の大霜がおりたことが分かった。「労多くして実入りはわずかだったはず」と推測する。
 当時の世情、学校、習慣などを丹念に描くことにより、当時の一般的な移民が「日本は負けるはずはない」と信じており、それが結果的に「勝ったはずだ」という表現になった過程を丹念にたどった。
 裁判所や警察署にいって当時の父親の書類を探し、自分の知らなかった親の裏面史をひもといた。「父は拘留生活により、子供たちをブラジル人として育てる決心をした。家庭内でも子供たちにポ語を使うように強要するようになり、他の東洋系子孫から距離を置くように命じるようになった」。
 このルーツを探る内面の旅を通して、徐々に移民史全体を追体験していった。
 最後に「日本移民はブラジルに来て、これほどの犠牲を払う価値はあったのか」と会場全体に問いかけ、「子供たちを立派に育てたことが、なによりの収穫だった」と結論付け、大きな拍手が送られた。
 講演の後、ロビーでは著書を購入した百人以上もがサインを求めて列を作った。来場していた山下譲二文協副会長は「若い世代にルーツの重要性を分かりやすく説明するような素晴らしい話だった」と感想を述べた。主催はG4(青年文協、日本元研修生・留学生協会、ABEUNI、青年会議所)。

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