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同期の友情 海を越えて=在伯の同期生と交流再=73歳合同祝い向け=沖縄県の鏡原中卒業生ら

ニッケイ新聞 2008年7月17日付け

 【沖縄タイムス】沖縄県宮古島市の鏡原中学校を五十五年前に卒業した五期生が、長く音信不通になっていたブラジル在住の同期生の消息をつかみ、交流を再開した。「物不足の戦後を一緒に過ごした仲間。何年たってもきずなは切れない」と変わらぬ友情をかみしめている。
 那覇市首里石嶺町の保良榮長さん(70)ら五期生は来年、数え七十三歳を迎えるのを機に合同の生年祝いを計画。昨年暮れごろから、約七十人いた同期生の連絡先などを確認している。
 その一環で、移民が盛んだった一九五八年にブラジルに渡った砂川定金さん(70)に連絡を試みたが、旧住所では接触できず、県交流推進課に協力を依頼。県が砂川さんが住むカンポグランデ市(南マ州)の県人会に照会し、新たな居所を突き止めた。
 砂川さんはブラジル移住後、コーヒーや米作り、酪農などで生計を立て、県系二世のミネ子さん(64)と結婚して八人の子を育てた。過去に数回帰郷したが、同期生とはここ二十年ほど会っていないという。
 中学時代の砂川さんについて、保良さんは「とても真面目で、農作業実習でも骨惜しみせず率先して仕事を引き受けていた」と懐かしむ。同じ五期生で、浦添市屋富祖の洲鎌ハルさん(71)も「戦後の混乱で教室もなく、松の木の下で一緒に勉強した。小中学校の九年間を共にした分、いつまでたっても気持ちは離れない」。
 思いがけない保良さんらからの電話や手紙に、砂川さんは「胸が詰まって涙が出た」と感激を抑えられなかった。家庭の事情などで、生年祝いへの参加は厳しそうだが、「こうして連絡を取れたことが、金では買えない喜び。同期生には健康に気を付けながら、頑張ってほしいと伝えたい」とエールを送った。

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