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東洋街日系商店=〃黄金期〃は去った=80年代から下降、ドル安が拍車=高価な買い物した駐在員らいずこ=日系店員不足=「みつぼし」閉店へ

ニッケイ新聞 2008年8月1日付け

 サンパウロ市東洋人街リベルダーデ区で、三十八年にわたり営業を続けてきた老舗日系宝石店「みつぼし」が来る八月三十日、閉店する。かつて日本人街と呼ばれたリベルダーデは昨今、中国系、台湾系商店の進出が著しい。同店の閉店は、昔ながらの日系商店の苦しい経営状況を象徴しているといえそうだ。
 同店の創業は、一九七〇年。リベルダーデ広場前のアパートの一室から営業を始めた。オーナーの尾上さちこさん(68・二世・サンパウロ州オウロ・エステ市出身)によれば、当時、日本企業が波のようにブラジルに押し寄せ、コロニアも活気溢れた時代。客足も伸び、七五年、〃日本人街〃の目抜き通り、大阪橋隣のガルボン・ブエノ街のビルに移転した。
 一つ数千ドルもの宝石を求めてやってくる駐在員や観光客も多く、七九年には同ビル奥まで店舗を拡張。改装オープンパーティーには、リベルダーデ商工会元会長の水本毅さんや元文協会長の尾身倍一さんら、日系社会の各リーダーが多数出席し、盛大に行われたと振り返る。
 経営のピーク時だった七〇年代後半から八〇年代にかけては、円高が後押しして、「アクアマリン」や「インペリアル・トパーズ」といった宝石が、駐在員によく売れた。「アレキサンドライト」や「パライーバ」といった、一つ数万ドルもした高価な宝石も人気を呼んだ。
 また、蝶の羽細工も飛ぶように売れ、百枚以上をまとめて日本に買って帰る人もいたという。
 しかし、こうした良き時代は、間もなく終わる。八〇年代に日本企業の撤退が相次いだことがその一因だ。「この頃から高価で贅沢なものの商売は将来厳しくなると思いました」と振り返る。デカセギブームも始まり、日系従業員が相次いで日本へ。仕方なくブラジル人従業員を採用したが、日本語も話せず、商品の知識にも乏しく、苦労は耐えなかった。
 三十八年間の営業で、何十万ドル相当もの商品を入れた金庫を盗まれたことが何度かある。その度に馴染み客はじめ日系社会からの温かい応援があり、店を続けることができたと感謝する。
 九〇年代から現在にかけて、売上げは少しずつ減少。同店は、〇七年一月、心気一転をはかり現在店があるアフリット街の自社ビルに移転。しかし、立地だけでなく、「店近くの道端に座り込むブラジル人が多くて雰囲気や立地が悪い」ことが影響し、次第に客足が遠いた。「昨年は創業以来初めて赤字を出した」と肩を落とす。息子の奨めを受けて、今年中旬ごろから閉店を検討。「自社ビルの売却が決まった夜は、四十年の歴史がこみ上げてきて、一人で泣いた」という。
 同店のこうした歴史と現状は、同区に昔からある他の日系商店でも同じ、と尾上さんは語る。日本人駐在員も多く、ドル高だった七〇年代の〃黄金期〃に比べて、厳しい経営を迫られている店が多いという。「それに昔、リベルダーデの商店は義理や人情をもってお互いを助け合っていた。でも今は冷たい」と残念がる。
 同店のトラック一台分にもなる在庫商品は、姉が経営する同区の藤本土産店が引き取り、尾上さんも同店の営業を手伝う予定。「これまでお店をやってこれたのは、みなさまのおかげ」と尾上さん。閉店後、末息子と孫のいる日本を初めて訪れてみたいと話している。

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