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百周年の早慶戦が終了=ボン・レチーロ=6千5百人が球場埋める=応援合戦に大盛り上がり

ニッケイ新聞 2008年8月21日付け

 ブラジル日本移民百周年を記念して、ブラジル野球連盟(大塚ジョルジ会長)が八日からサンパウロ州・パラナ州内五都市で開催した「日伯友好親善試合 早慶戦」。十七日午前からサンパウロ市ボン・レチーロのミエ・ニシ球場で、今回の最終戦が行われ、六千五百人の観客が球場を埋めた。試合中には早慶戦独特の応援合戦も行われ、球場全体が大盛り上がりを見せていた。早慶戦は、早大が七×三と逆転勝ちを収め、早大とブラジル代表は早稲田が初回にあげた二点を守りきり、二×一と辛くも勝利した。
 百周年の早慶戦最終日となった十七日、雲ひとつなく澄み切った青空のもと六千五百人が来場した。通路には立見客や座り込む人もでるなど、同球場が久々に興奮の渦に包まれた。
 開会式では日ブラジル歌斉唱、大塚会長の開会あいさつに続き、慶應義塾大学の前島信部長は、ブラジルに早慶戦を呼んでくれたことに感謝し、早慶戦の歴史を説明。最後に「本日八月十七日が皆様の心に残るような試合をしたい」と力強く話した。
 その他、ブラジル日本移民百周年記念協会の上原幸啓理事長、西林万寿夫在サンパウロ日本国総領事、ヴァルテル・フェルドマンサンパウロ市スポーツ局長たちも祝辞を述べた。フェルドマン局長の力強い始球式によって、早慶戦が始まった。
 先攻の早大は、慶大の相澤宏輔投手の立ち上がりを攻め、長短打を絡めて二点を先制。一回の裏慶大は、相手エラーに乗じて、早大先発の須田幸太投手から一点を取り返した。
 五回表まで、両チームランナーを出すが、決定打が出ずに二×一と均衡状態が続いた。
 五回裏、先頭の九番坂本直寛捕手が放ったライト線を抜く二ベースヒットを足がかりに同点とし、続く三番小野寺和也内野手のセンターオーバーの三ベースヒットで慶大が一気に逆転。
 六回表二死ランナーなしから、四番原寛信内野手がインコース高めのストレートを力強く振りぬくと、打球は鮮やかな放物線を描きレフトスタンドに飛び込む同点ホームランになった。
 七回表から先発相澤投手の後を引き継いだ慶大の村山雄紀投手は七回を危なげなく切り抜けたが、早大は、八回表に四球を足がかりに一死満塁のチャンスを作ると、ヒットと犠飛で四点を追加し試合を決定付けた。早大は追いすがる慶大打線を抑え、七×三で勝利を収めた。
 試合中には、早慶戦独特の応援合戦も披露され、太鼓や声援、手拍子などで両チームを盛上げていた。観客席からは一生懸命プレーする両チームの選手たちに温かい拍手が送られた。
 早大の応援団長を務めた益岡豊さん(59、鹿児島)は、一九六八年から七二年まで早大の応援団員だった。七五年にブラジルに移住し、十年前にブラジルで行われた早慶戦でも応援した。今回はイビウナとボン・レチーロで応援を行い、「青春時代に戻った感じです」と清々しい表情を見せていた。
 二試合目の早大とブラジル代表戦には、斎藤佑樹投手が先発し、七回まで制球難と審判のコースに苦しみながらもなんとか無失点で切り抜けた。早大は初回に得点した二点をなんとか守りきり、ブラジル代表の拙攻にも助けられ、二対一で辛くも勝利を収めた。
 試合後、慶大の相場勤監督は「早大に一回も勝てなかったのが悔しい。コンディションが難しい中でも上手くやらなければ」とブラジルでの試合を振り返りつつも、「各地で日本人会からの歓迎を受け、選手ともどもいい経験になった」と感想を語った。
 早大の應武篤良監督は「野球について大きい国だった。(ブラジルの野球は)将来が楽しみだ」と期待を口にした。
 また、ブラジル代表の小野レオナルド・ヒデミ監督は「チームが一つになって試合を行えた。勝つのが難しかったが、とてもいい経験になった」と笑顔で語った。


日伯友好親善野球=大会結果

 今回の早慶戦及び、ブラジル代表の各地における試合結果は次の通り。
 【九日、プレジデンテ・プルデンテ】早大×慶大=六×〇、早大×ブラジル代表=二×〇。【十日、マリンガ】早大×慶大=六×三、慶大×ブラジル代表=二×一。【十四日、リンス】早大×慶大=二×〇、慶大×ブラジル代表=六×七。【十六日、イビウナ】早大×ブラジル代表=六×六、慶大×ブラジル代表=十四×五。【十七日、ボン・レチーロ】早大×慶大=七×三、早大×ブラジル代表=二×一。

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