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第60回全伯短歌大会=サンパウロ市=「椰子樹」70周年迎え=百周年と3つの節目祝う

ニッケイ新聞 2008年9月18日付け

 移民百周年の今年、創立七十周年を迎えるコロニア最古の短歌誌「椰子樹」とニッケイ新聞社が共催する第六十回全伯短歌大会が十四日、サンパウロ市の文協ビル内のエスペランサ婦人会で行われた。三つの節目を祝う今大会には五十二人が参加し、鉛筆片手に短冊に向かい、辞書を引き引き、頭をひねった。時に厳しく作品を批評しつつも、ユーモアを忘れず楽しく歓談する姿が終日見られた。
 「百、七十、六十周年と三つの慶事が重なった。今日一日の愉悦を後々まで保っていきたい」。最高齢にして最古参加メンバーの安良田済さん(92)は、そう開会の挨拶をした。
 ニッケイ新聞による題詠「百年」の一位は、「百年祭見るなく逝きし友の庭に 今年も咲き満つさくらの古木」(小池みさ子)が選ばれた。
 全伯短歌大会の代表選には、審査員から「甲乙つけがたい」と評されて、同点一位として特別に二句選ばれた。「まともには歩めぬわれにも朝はくる あたたかき日射し窓にとどきぬ」(井本司都子)と「いそいそと妻が手掛くる粕漬けの胡瓜香にたつ朝餉すがしも」(高橋雄三)。
 一般選一位は「開拓期の先駆者の声聞く思い先人の詠みし歌集のいくつ」(酒井祥造)。総合点は、米澤幹夫さんに決まった。
 当日は、清谷益次さんの出題により独楽吟も行われ、「友が皆故国訪問することに触れず 脳病む夫としたしむ」(小野寺郁子)が選ばれた。
 その他、アベック歌合わせでは「過ぎ日のメロデイききつつ君思う 月の光は窓辺にやさし」(鈴木妙子―竹山三郎)だった。
 第四十一回岩波菊治短歌賞は入賞に「自分史・斉藤光之」と「山吹の花・杉田征子」の二篇、佳作に「思い出・高津文子」「旅立ち・筒井あつし」のそれぞれ二編が決定したと発表があった。なお、関係者によれば「新しい投句者がいない」ので今回を最終回とし、改めて新人賞発掘という初志に合致した新賞を創設するという。
 また、安良田さんの長年の尽力を顕彰し、上妻博彦代表から感謝状が贈られた。当日はパラナ州クリチーバ市から参加した宮本るみこさん、初出席者の木村衛さんらの姿もあった。
 今大会では、年四回に戻した方が投句者の負担が減っていい作品ができるのでは、という提案も上がったが、継続の意見がいくつも出され、運営委員会が再検討することになった。
 上妻代表は「日本語を使う人がいる限り、椰子樹は続く」と語り、「もっと戦後移民の人に参加してほしい」と呼びかけた。毎月第一日曜午後一時から、山形県人会でサンパウロ短歌会が開催されており、「興味のある人は誰でも見に来てほしい」という。入会問い合わせは阿部玲子さん(11・3507・3896)まで。(一部敬称略)

70年の歴史誇る短歌誌=「海外最古」との声も

 岩波菊治や木村圭石らが中心になり、坂根準三総領事とリオ横浜正銀の椎木文也支店長らが経済的な後ろ盾となり、椰子樹は三八年に創刊した。安良田さんによれば費用の半額、各号百ミル程度の支援があった。
 戦争中の四一~四七年には休刊したが、四八年から再刊した。日本人集会禁止であった戦時中にも関わらず、モジ郊外にあった、周囲に日本人ばかりが住んでいた田辺重之さんの養鶏場では、アリアンサから療養のために移ってきた岩波や古野菊生、武本由夫らも参加し、「秘密の歌会が年に三回ほど行われていた」(安良田談)という。
 全伯短歌大会は最初、パウリスタ新聞主催で始めたが、十年ほどして後援になった。椰子樹は年四回発行されていたが、戦後すぐに参加した安良田さんが編集を手掛けていた六五年から六回になり、最新号は三百三十七号を数える。
 清谷益次さんの後、安良田さんが椰子樹代表を務めていたが、今年三月から上妻さんに代わった。約百五十人会員中、主力を占めるのは戦前の子供移民で、二割程度の戦後移民が代表になるのは上妻さんが初。
 最盛期の六〇~七〇年代には二百人以上の会員がおり、現在は四十頁の椰子樹も当時は七十頁あったという。上妻さんによれば短歌人口は「五百人に満たない」。安良田さんは「海外に現存する短歌誌としては世界最古では」と語った。

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