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百周年の記念ミサ盛大に=プロミッソン=司牧協会が最古の教会で=福岡の隠れキリシタン建立=長崎26聖人に所縁の地

ニッケイ新聞 2008年11月28日付け

 サンパウロ州プロミッソン市にある日系カトリックの象徴、一九三八年に建立された日系初のクリスト・レイ教会で、二十三日午前、移民百周年を記念したミサが行われ、約六百人が参列し、厳粛な祈りを捧げた。当日はサンパウロ市やモジ市、パラナ州などから巡礼が集まり、長崎二十六殉教者の名を冠する同教会は、隠れキリシタンが多いことで知られる福岡県三井楽郡太刀洗(たちあらい)町出身者が中心になって、今村教会をモデルに建立されたゆかりの深い場所だけに、二重の喜びに沸いた。
 リンス教区のイリネウ・ダネロン司教が司式する七人の司祭による、百周年記念の共同ミサは午前九時過ぎから、教会いっぱいに信者らを集めて行われた。第一回移民船笠戸丸をかたどった船に乗った子供を先頭に、司祭らが厳かに入場した。百周年を記念して日伯司牧協会(青木勲会長)が開催した。
 二十六人は豊臣秀吉の宗教迫害により、一五九七年に殉教した神父と信者で、一八六二年に聖人の列に加えられた。
 「今まさに長崎では百八十八人の列福式が行われている。フランシコ・ザビエル師の教えを守ってきた信者たちの子孫が建てた教会で、百周年を記念してミサができることは特別なこと」と同司教が語ると、日伯旗を持った信者が一斉に「アレルヤ」と叫んだ。
 十三時間時差のある日本では二十四日にちょうど国内初、江戸時代初期に殉教した百八十八人が、聖人に準じた「福者」として列せられる列福式が行われていた。
 〃移民の父〃上塚周平が建設した植民地の一角、ゴンザガ区は当時、最も入植者が多かった地区だ。上塚本人を知る唯一の語り部・安永忠邦さんによれば「ここには二百三十家族も入植した。プロミッソンで一番多かった」と証言する。
 特に教会周辺は、隠れキリシタンの子孫が多く住むことで知られた太刀洗町出身が大半を占めた。その縁で、長崎などで多数の教会を建設した鉄川与助氏が設計した有名な今村教会堂をモデルにし、百五十万クルゼイロスの大金を投じて建てたといわれる。
 安永さんはミサの中で、一九二〇年から現在までに同市でなくなった移民・日系人の約二千七百人分の物故者名簿を奉納した。
 共同祈願では、スザノ市在住の仲谷内幸一さん(73、石川県出身)が「キリシタンの末裔である福岡の信者は(中略)大きな犠牲をささげてここに大きな聖堂を築きました。祖先の命をかけたあり方に誇りを持つと共に、一人一人が現代の社会に殉教の心を証しすることができますように」との言葉を捧げた。
 来賓あいさつの中で白石一資ノロエステ連合会長は「七カ月前来た時は廃墟のようだったが、見違えるほどキレイに改修され、驚いた。この教会によって救われた多くの移民への最高のオメナージェンとなった」と賞賛した。コーヒー栽培衰退と共に五〇年代ごろから住民が減り、現在、日系人は一人もいない。
 パラナ州アラポンガス市から巡礼としてきたヨシコ・ヒサツグさん(70、二世)の両親は太刀洗出身。「私の両親はこの教会に通っていた。中村長八神父のこともいつも話題にしていた。この教会を見ることができて本当に良かった」としみじみと語った。
 懺悔室や椅子、扉などみごとな装飾をもつ教会の木造部分を父・諌山(いさやま)虎作さんが担当した森久マリアさん(71、二世)は、同地で生まれ育った。「今日はとても賑やかで、まるで昔のそのまま。とても懐かしい雰囲気だった」と目を細めた。
 当日はリンス慈善文化体育協会の安永和教会長、ヴィルマ・キヨコ・モッタ文協評議員会第三副会長らが出席した。なお、日系伝道の歴史書『暁の星』(五五年、暁の星)によれば三五年に落成、献堂式とある。

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