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第4回=電線が文明とのへその緒=毎月船で巡回保健指導に

ニッケイ新聞 2008年11月28日付け

 「ボン・ジーア!」。子供たちは好奇心丸出しの表情で一行を迎え、一斉にあいさつする。HANDS職員らが口内の模型を使って、歯ブラシの使い方を教える。
 イガラペジーニョ生まれのジョアキン・カバウカンテ・ダ・シルバ校長(31)によれば、ここには五十六家族、三百二人が住んでいる。生徒数は百六人、その大半が集まってきている。
 市遠隔地教育局の教師グラージス・シダーデ・テリスさん(38)は、一人芝居のように大げさな動作で「土に落ちている果物は洗ってから食べる」「食事の前には手を洗う」「トイレの後には手を洗う」「食べたら必ず歯を磨く」と何度も唱和させる。
 都会では当たり前のことでも、そうでない世界に河民は生きている。
 職員のジルソンさんは寄生虫の予防について、子供たちに説明する。井戸水やわき水、川の水はそのまま飲むと危ないから、親にイポクロリットを入れて殺菌してから飲むように伝えて、と子供たちにいう。
 ここはセントロから七キロしか離れていないが、遠隔地コミュニティと同じ生活パターンだという。セントロまでの道路が最近通じたが、自動車がない。歩けば片道一時間二十分かかる。セントロから近いので先生は毎日船で通っている。
 校長によれば、セントロから電線が〇四年に敷設され、「それまではランプ生活、テレビもなかった」という。
 人一人やっと通れる土道沿いに、文明とのへその緒のように電線が伸びている。約五十メートルおきに高床式の木造民家が建ち、テレビの音声が聞こえてくる。
 案内したHANDS職員のエメルソン・ボルゲスさんは真剣な表情で、「手前の家はテレビもはっきり映るが、先に行くほど電気が弱くなって一番先だと扇風機も回らない」という。
 どこの民家も十メールほど離れた所に草葺の小屋がたっている。トイレだ。エメルソンさんによれば、最近まで付近の草むらで用を足すのが普通で、伝染病などの観点からトイレを作るように指導した成果だという。
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 まかない婦が作った昼食を立ったまま船中で食べ、次のコミュニティへ向かう。セントロをはさんで一時間ほど反対方向にあるサンタ・リッタだ。やはり教会を中心とした四点セットがある。
 子供たち五十人ほどが集まって、講堂で椅子に座っている。同じ保健衛生の話をする。
 地域保健員のアントニオ・プラド・アルファイアさん(64)は「こうやって説明してくれると、住民の意識が変わる。ここでは寄生虫がひどかったが相当改善した」とHANDSの活動を高く評価する。「あとハンセン病患者がけっこういるから、それについても調査して欲しい」。
 帰路、船の中で全員が集まって反省会。こんなに献身的かつ真面目に取り組んでいるグループがあること自体が、驚きに値するような真剣さだ。
 HANDSではこのような一日に二カ所程度のコミュニティの学校をまわる船の巡回指導を、毎月十日間から二週間程度行っている。今月下流に行けば、次の月は上流という具合に巡回する。みなの役に立っているとはいえ大変な仕事だ。
 電話がない遠隔地コミュニティで病人が出た時、医師や専門家の相談を受けたいという要望を受け、昨年HANDSは二十九のコミュニティに無線機を配った。朝夕一時間ずつ時間を決めて、地域保健員が健康相談などの無線交信をする。
 ところが、肝心のマニコレの病院は無線に返答をしてくれない。ジルソンさんは「ただでさえ煩雑な業務が、さらに増えるのを嫌ってのことではないか」という。「それでも、僕らが相談を受けて対応している。重病の時は医者を呼んで直接話をしてもらう」。
 地域保健員と医療機関との連携強化は必要だと誰もが思っていても、意識変革には時間が必要だ。(続く、深沢正雪記者)

写真=イガラペジーニョの子供たちに説明するエメルソンさん(左)

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