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英霊奉祭会初めての慰霊祭=サンパウロ市=靖国神社の英霊に祈り=開拓移民も共に祀る=百人で世界平和願う

ニッケイ新聞 2008年12月4日付け

 「私たち日系ブラジル人も末永く靖国神社や開拓移民の英霊に心からお祈りを捧げたい」。靖国の英霊や日本移民開拓物故者を慰霊するために今年発足した、ブラジル英霊奉祭会が主催する第一回慰霊祭が十一月三十日午前、サンパウロ市リベルダーデ区の東洋会館で厳かに行われ、浜口松原イネスはるみ会長は、そう祭文を読み上げた。
 最初に靖国神社の南部利昭宮司からのメッセージが読み上げられ、「第一回慰霊祭を御斎行され、靖国神社にお鎮まりの英霊やブラジルに移民されて物故者となられた神霊たちには、どんなにかお喜びのことではないか」と奉祭会結成を祝福した。
 儀式は上妻博彦さんが斎主を務めて祝詞を奏上し、松原会長が祭文を読み上げた。壇上の来賓ら代表者が玉串を奉奠(ほうてん)するのに合わせて会場も礼拝し、会場全体で「海ゆかば」を斉唱した。この後、参列者はお供えした直会(なおらい、神酒)をいただき、尾西貞夫援協副会長の音頭で万歳三唱を唱えた。
 〇五年に松原寿一講元が亡くなってから活動を停止していたサンパウロ靖国講を継ぐ存在として、娘の浜口さんが中心になって今年立ち上げた同奉祭会。靖国の英霊に加え、今回からは全ての開拓移民も祀る方針になった。第一回の慰霊祭には約百人が集まった。
 第二部では、まず西林万寿夫在聖総領事が昨年靖国神社に参拝した経験をあいさつで述べ、つづいて小森廣理事が同神社の歴史を紹介した。
 続いて、プロミッソンから参加した安永忠邦さん(二世)が舞台に立ち、「シャムの英雄・山田長政は功をたてたが、次の世代に日本語を省みず、シャムと日本をつなぐ何物も遺さなかったために一代で滅びてしまった」と八十七歳という年齢を感じさせない力強い口調でのべた。
 さらに、ブラジルでは移民が日本語、正直、勤勉、忍耐と努力、最も大切な道徳教育とその精神を遺したから百周年では全伯で祝われたとし、「先駆者のご苦労に対し、深甚なる感謝と尊敬の意を捧げるものです」と語った。最後に力強く上塚周平翁の歌を披露した。
 開戦直前に訪日し、日本国民として国内で戦時中を過ごした経験を持つ川村真倫子理事(二世)は、「親しかった方々の身体が散乱する中を彷徨致しました。今も耳から離れない『行きます』との友の力強い出征の言葉は、思い出すたびに胸が痛みます」という。
 さらに、戦後の勝ち負け紛争に関して「中には違法行為をした人もいただろうが」と前置きしつつも、「大多数の日本人は日の丸を胸に秘め、日本人として誇りをもって、戦前も戦中も、戦後も生命を賭けて戦われたのではないでしょうか。そして、力尽き、剣折れて、ふるさと日本を思いながら亡くなっていかれました」と開拓移民の英霊を顕彰した。
 最後の「二度と『君死に給うことなかれ』と叫ばねばならない日がこない世界を作るために努力しなくてはと思います」と世界平和の祈りを捧げて締めくくった。

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