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連載〈3〉マガリさんの場合=日本で家庭つくった夫=養育費止まり生活困窮

ニッケイ新聞 2008年12月9日付け

 「私はイオーニ。ルイスはあなたに養育費を払うと言っています」。〇四年某日、電話越しに響いたブラジル人女性の声に、マガリ・モレイラさん(46、サンパウロ市イタケーラ区)はすぐに悟った。夫の愛人からだ。「私はルイスの妻よ」。皮肉を込めて言い放った。
 デカセギの夫ルイス・ミウラさんに、養育費を求めて訴訟を起こしたのは九七年。弁護士を雇い、かつて一緒に暮らした埼玉県内の住所に裁判嘱託書を送ったが、「不在で届かなかった」。夫の就労先の会社にも送付したが、「受け取りが拒否され、ブラジルに返信されてきた」という。
 担当弁護士は、日本にいる夫への裁判は難しいと判断。ブラジルにいる夫の親に取り立てを求めて裁判を起こした。
 「でも負けてしまった。彼の母親は重い病気にかかっていると主張したの。医療費の負担が大きく、養育費の支払いはできないと訴えたことが認められたわけ。でも彼女は今でも元気にしているのよ」。マガリさんの顔が悔しさでゆがむ。
 間もなく判決を知った夫から電話があった。冒頭の女性の言葉は、この時のものだ。以後、当時十六歳だった長男ラファエルさんの養育費として、毎月、最低給料分のお金が日本から送られてきた。それは長男が十八歳の成人を迎えた月に、ピタリと止まった。
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 八七年にルイスさんと知り合い、翌年、長男を授かった。サンパウロ州ポア市に暮らしていたが、将来の生活を考えて、九〇年に夫が日本に行くことになった。埼玉県羽生市の鉄鋼関係の会社で一年間働き、「二週間に一回は必ず電話をしてきた。仕送りも毎月あった」と振り返る。
 帰国後、前妻との間で進めていた夫の離婚調停が認められたため、九一年六月九日、二人は晴れて婚姻届けを提出。直後に一家揃って日本に渡った。
 ルイスさんはまじめに働き、週末は家族で遊びにいくこともあったという。マガリさんは今でも当時の写真を残している。アルバムは夫と行ったディズニーランドで買ったものだ。無数の写真の裏面には、夫の直筆のメッセージで「チ・アーモ(愛している)」とあった。
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 「私の大きな失敗だった」と今でも振り返ることがある。訪日して三年。マガリさんは長男を連れて母国に戻った。体調を悪くしていた姉を心配しためだった。「夫は一年後に帰ってくる約束だった」。
 この時、実は二人目の子どもを授かっていた。妊娠二カ月。帰国するまで気づかなかったという。ストレスや体調不良が重なり、四カ月目に流産した。
 「でも夫の家族は、彼が送ってくるお金を使って私が自分で堕胎したと言い、彼にそう手紙を送った。私はしっかり検査を受けていたし、できれば産むつもりだった。彼に私を信じて欲しかった」。
 これが一つのきっかけになったのか、夫の送金と連絡は止まった。「彼は結局ブラジルに帰ってこなかった。子どもも小さかったし、生きていけるか不安だった」。
 両親の援助を受けながらもサンパウロ市内の会社や学校の受付け職員、掃除婦、料理婦などとして働き、これまで糊口を凌いできた。
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 マガリさんは、ルイスさんのことを元夫と言う。でも正式には離婚していない。「彼は永住者資格を持ち日本で新しい家族と暮らしている。でも私たちの関係をどうするつもりなのか」。
 ブラジルでは相手が不在でも離婚ができる。しかし、ルイスさん自身が切り出してくるのを待ちたいという。
 「私は屈辱を受け、お金の面でも苦労してきた。でも十分な償いもなかった」とつぶやく。「彼は本当に自分の息子や家族を忘れてしまったのか。そう思うことが一番悲しい」。(つづく、池田泰久記者)

写真=東京ディズニーランドのアルバムを手にマガリさん。(サンパウロ市イタケーラ地区の自宅にて)

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