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山本喜誉司賞=消えた受賞者の資料=文協=保管していた国士舘で=管理人が燃やした!?=記念誌は来年3月に

ニッケイ新聞 2008年12月13日付け

 日系農業の最高の栄誉とされる山本喜誉司賞(高橋一水選考委員長)の記念誌編纂が遅れている。当初は百周年の今年、先月二十八日に行われた「第三十八回授賞式典」に合わせて刊行、配布する予定だったが、第一回から十年ほど前までの資料が、文協が管理する国士館で紛失しているのが発覚。誤って焼却されてしまったと見られている。貴重な資料の紛失により完成も遅れ、予定には結局間に合わなかった。国士舘運営委員会の諸川有朋副委員長は本紙の取材に対し、就任前の出来事ということもあり「詳しいことは知らない」と回答。「それ以降、そんなことは起こっていない」と話すにとどまり、具体的な対策は講じられていない。文協初代会長を務めた山本農学博士の落胆の声が聞こえてくるようだ。
 山本氏が農業技術者の育成を目的に設立した日系農業技術者研究会(ABETA)によって一九六五年に創設された山本喜誉司賞。その記念誌編纂(藤井剛三編纂委員長)は、三年前の同賞四十周年の際企画され、百周年の今年の授賞式典で配布するはずだった。
 しかし作業を開始してまもなく、第一回から十年ほど前までの資料が紛失していることが発覚した。
 山本賞はABETAが活動を停止したのをきっかけに、十一年前から文協が引き継いで選考・授賞を担当している。その引継ぎの際に、それまで同賞が文協ビルに借りていた部屋を返し、全ての資料を国士舘で保管することに決定したという。
 しかし、「編纂を始めようと資料を探しに国士舘に出向いたら、どこにも見当たらなかった。ブラジル人管理人に焼かれてしまっていたようだ」と話すのは藤井編纂委員長。高橋委員長によれば、一緒に保管されていた文協の資料も丸ごと紛失していたようだ。
 過去の新聞や農業雑誌をひっくりかえしての資料収集から始まった編纂も、四年越しの来年三月頃にはお披露目できそうだという。
 高橋委員長は、「記念すべき百周年の受賞者も記念誌に載せることができる」と、先月あった第三十八回授賞者の記者会見で苦笑いを見せていたが、依然として詳しい功績が分からない人や写真が手に入らない人もいるようだ。
 委員会では今後、資金的に不安定だった同賞に基金を設けたいと意気込みを見せている。今回の紛失事件が投げかけた、歴史的資料の保存・管理問題。他の団体にとっても他人事ではないだろう。

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