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ブラジルで白球追う少年たち=9年目のヤクルト野球アカデミー=連載〈中〉=9年で3百人超が卒業=「文武両道」のアカデミー

ニッケイ新聞 2009年1月13日付け

 ヤクルト野球アカデミーは二〇〇〇年に完成した。一九九七年にヤクルト本社が、工場と野球場を一緒に作るように計画していた。しかし、交通の問題などで工場はロレーナ市、野球場はイビウーナ市へ別々に作られた。同アカデミーはブラジルでも野球で生活できるための指針として、野球選手の育成を目標にして建設された。
 同アカデミーのこけら落しとして、九九年に準青年大会が行われ、翌二〇〇〇年に開校した。現在までの九年間で、卒業生は三百人から三百五十人にのぼるという。そのうち、日本やアメリカには順応性がある選手を選んで送り、現在まで約五十人がプレーしている。
 約二十二万平米の広さを有する同アカデミー。土地の約八〇%が緑地と、環境にも配慮している。球場は大人用三面、子供用五面があり、トレーニングルームや屋内練習場などの施設が完備されている。
 〇四年までは、食堂の一角を使用して宿舎にしていたが、同アカデミー卒業生で、〇二年に中日とヤクルトに入団した瀬間仲ノルベルト氏や片山文男氏の寄付などを使って、四十四人の寝泊り可能な宿舎が完成した。
 月謝は六百八十レアルで、学費など全ての費用が含まれている。メンテナンス費用などはヤクルト本社が負担。コーチの給料などはブラジル野球・ソフトボール連盟が支払っている。
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 アカデミーで練習している選手たちの一日は長い。六時半に起床し、七時から二十分間で朝食を食べ、地元の学校へ勉強にむかう。午後一時十五分ごろに戻ってくる。
 昼食を取った後、紅白戦がある時は午後二時から、通常練習の時は午後二時半からそれぞれ練習が始まり、午後七時までみっちり練習する。
 練習後の午後七時半からは夕食の時間。週に二回は町へ出て日本語と英語の勉強をする。将来、日本やアメリカでプレーする時に困らなくするためだ。その後、自由時間があり、午後十一時に消灯。ただし、日本やアメリカで野球の放送があるときは、消灯時間は決められていない。
 練習日は火曜日から日曜日まで。しかし、週末は地元の野球クラブに戻り試合に参加している。地元が遠い選手たちの、約十人から十五人ほどは毎週残って練習に励んでいる。
 同アカデミーの目的は二つ。一つは野球の才能を生かして、大学などに入り勉強をしっかりすること。もう一つは、国外に出て野球で稼ぐことだという。
 国外で野球をする人たちに対しても、勉強の必要性を強調し、学校には必ず行かせている。もし、学校を落第した場合はアカデミーも退校しなければならない。
(続く、坂上貴信記者)
写真=選手たちが寝泊りしている宿舎



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