ホーム | 連載 | 2009年 | 『日伯論談』=様々な問題を俎上に | 日伯論談=第5回=ブラジル発=二宮正人=日伯両国における文化交流の担い手としてのデカセギ者

日伯論談=第5回=ブラジル発=二宮正人=日伯両国における文化交流の担い手としてのデカセギ者

2009年5月30日付け

 昨年は移民百周年が両国において盛大に祝われたが、それぞれの国の現実のイメージが相手国に伝わり始めたのは、そう古いことではない。
 在日ブラジル人によって、認識が変わったことは確かであるが、マスコミの報道についても、初期においては、デカセギ労働、犯罪・非行等に関するものが多く、多文化共生や教育がテーマとなってきたのは、過去十年ほどのことである。
 今や、中南米日系人が多く居住する北関東、東海地方における二十六外国人集中都市を中心に、四十七都道府県にブラジル人が生活していることは周知の事実であり、今回の経済危機に際して、派遣労働者の失業や月謝が払えなくなって退学した子どもたち、生活の危機に際してのブラジル人の相互援助等が報道されるようになった。
 彼らが父祖の国において、訪日前の期待と希望に反して、法律・習慣の違いのみならず、差別やイジメに直面し、悲喜こもごものさまざまな体験を重ねてきたことは、知られている。
 さらに、現在の在住者約三十万人のほか、今回の経済危機以前、一応の就労目的を果たして帰伯した者の人数は、十五万人ないし二十万人程度と推測される。
 その中には非日系人も多いが、約五十万人という数は在伯日系社会の三分の一に当たる人数であり、これだけの人々が日本に生活した経験を持つことは、両国にとって何を意味するであろうか。
 ここで、デカセギ就労者を「文化交流の担い手」、なかんずく日本語能力を有する人材としてとらえてみたい。彼らの多くは、日本に長年在住していても日本語が話せず、今回の経済危機においてもそのことが問題とされているが、歴史を振り返ってみると、ブラジルにおける過去の日本移民の行動と同じである。
 戦前において、日本人が錦衣帰国を夢見て、ポルトガル語を学ぼうとせず、同国人のみで閉鎖社会を形成して、同化しなかったことによって、様々な問題を引き起こした。しかしながら、昨今の三世以降の世代の完全な同化ぶりや非日系人との婚姻がなんの抵抗もなく行われていることを目の当たりにすると、戦前において一部ブラジル人識者が唱えていた日本人不同化論は何であったのかとふと思うのである。
 特筆すべきは、在日の、または帰国した日系・非日系ブラジル人のなかには、日本人に負けるとも劣らないレベルの日本語を習得した、多数の通訳・翻訳者が育成されていることである。前述の外国人集住都市においては、日本語ができない日系人のために、ポルトガル語やスペイン語の知識を有する者が必要となってきた。
 県庁、市役所を始め、国際交流協会、裁判所、警察にいたるまで通訳が配置されている。医者が患者を診察する際にも、通訳を必要とすることは言うまでもない。最近では携帯電話による通訳サービスを行うNPO法人も設立されている。
 これまでは、ポルトガル語に堪能な日本人がそうした仕事に従事していたが、最近では日系、非日系を問わず、在日ブラジル人をはじめとする中南米日系人通訳の存在が注目されている。一見して日本語が通じないと思って握手しようとしたところ、先方から先に深々とお辞儀をされ、同時に日本語で立派な挨拶されて戸惑ったことも一度や二度ではない。
 ブラジル人就労者達は、仮に彼ら同士で固まって生活し、日本語の習得度が低かったとしても、定住者として日本文化にどっぷりとつかり、授業や講義でいくら説明してもなかなか理解できないことを生活体験として身につけられることは、何事にも変えられない貴重なものである。
 このたびの経済危機以前は、在日ブラジル人の三分の一が日本に永住すると考えられていた。ブラジル人のうち何人が帰国するかは、今後の推移を見守るしかない。だが帰国者のうち、仮に一万人が日本語を習得し、日本文化を身につけて帰国したならば、それがブラジル日系社会にもたらす文化的刺激は計り知れないものがある。
 なお、就労現象が始まってから二十年が経過したが、在日ブラジル人で日本の大学に学ぶ者の数は百名以上であると聞く。さらに、帰国してブラジルの大学で学ぶ者の数もかなりの人数になっている。また、少数ではあるが、日本で稼いだ学資を元手に欧米の大学で学ぶ者もいる。
 ブラジルで日系人が初めて大学を卒業したのは一九三二年のことだ。一九三四年に設立されたサンパウロ大学では、当初より法、医といった学部に日系人学生が一人、二人と在籍していたが、それはちょうど笠戸丸到着後二十五年を経過した頃のことだった。
 当時の方が苦労が多かったと推測されることから、比較の対象にはならないかも知れないが、現在の在日ブラジル人はより短期で大学入学を達成しており、徐々にではあるが、今後多数の卒業生が輩出されるとすれば、これほど頼もしいことはない。
 両国とも学歴社会であり、これまで在伯日系ブラジル人がそうであったように、今後は在日ブラジル人達の間で最高学府を卒業した人材が輩出していき、彼らが一部上場企業のみならず、多くの分野に就職し、人口減少傾向の日本社会で活躍する日は近い。
 他方、ブラジルにおいても、日本において就労、あるいは日本の学校で学んだブラジル人が大学を卒業し、日本語能力を中心とした活力をブラジル社会にもたらすことによって、日系コミュニテイの活性化に貢献することは明らかであり、今後の文化交流の担い手としての彼等の活躍に期待したい。

 二宮正人(にのみやまさと)

 1954年1月に両親とともに来伯。帰化ブラジル人。サンパウロ大学を卒業後、文部省国費留学生として訪日。帰国後、弁護士業務のかたわら、両国の大学で教鞭をとる。1992年より、国外就労者情報援護センター(CIATE)理事長。60歳。

image_print