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アマゾンを拓く=移住80年今昔=【ベラ・ビスタ編】=5回=地元教育に献身、大谷三枝子さん=最高齢橋本さん「ここはいいとこ」

ニッケイ新聞 2009年6月13日付け

 ベラ・ビスタ移住地カルデロン地区には、日本人の名前をつけた公立学校がある。
 「エスコーラ・ムニシパル・ドナ・ミエコ」(一九八四年創立、生徒数四百人)だ。
 「最初は十五人くらいで始めた。寺子屋みたいなもの」と話すのは、同校の創始者、大谷三枝子さん(58、福島)。
 五三年九月、第一陣の大原勝工、ウメ夫妻の三女として三歳で移住した。厳しい開拓生活のなかで、「学校もまともに行けなかった」が、洋裁や花作りをマナウスに習いに通うほど、向学心は旺盛だった。
 第一陣入植三十年後の八〇年代になっても、二十キロ離れた港カカウ・ピレラにしか学校がなく、雨が降ると通学バスも通らなくなる悪路に未就学児童も多かった。
 自分が十分に勉強できなかった悔しさも手伝い、子供を集め、勉強の楽しさを教えた。
 八六年、移住地を訪問したジルベルト・メストリーニョ州知事(当時)に直談判し、州の支援による校舎建設。〇六年には校舎も建て増し、多くの生徒の歓声が響く。
 地域発展協議会(Conselho de Desenvolvimento Comunitario de Caederao)の会長を務め、九七年にはハウス栽培も始める。
 それまでは、ブラジリアやサンパウロから取り寄せていたピーマンも今では移住地の重要な生産物となっている。
 〇八年には、長年の移住地発展への献身ぶりが認められ、外務大臣表彰を受けた。子供たちは独立し、現在夫の広行さん(65、富山)と静かな日々を暮らす。
 今年四月末、ハウス栽培の堆肥を生産する施設建設に対する州からの助成が決まった。
 三枝子さんが申請、受け入れ団体となる自治会の渉外役を務めていることもあり、「また忙しくなるね」と日焼けした笑顔をほころばせた。
     ◆
 「これならいいばい! って主人より自分の方がその気になってね」。 ベラ・ビスタ移住地に住む最高齢は長崎出身の橋本房枝さん(84)。
 夫博さん(九九年に死去)が働いていた炭鉱が閉山、「四十過ぎとったら、仕事がなかけんねえ」。
 就職を探す合間、花見で訪れた平戸で、移住を呼びかけるポスターに目が止まった。
 「十年で帰る」と両親を説得。家族六人で船に乗り込んだ。
 六二年十月に到着したが、入植予定だったエフィジェニオ・デ・サーレス移住地の土地の地形が悪く、耕地割りができなかったことから、ベラ・ビスタへ転耕した。
 十四年目の七六年、ブラジルで生まれた長女恵子さんを連れ、初帰国。後に博さんとの帰国も果たした。
 移住地の治安も悪くなり、最近は強盗にも入られた。何より嫌いな雷の凄まじさも日本の比ではないという。
 「だけど、日本は何かのんびりできないね。ここは日陰も涼しいし、いいところよ」。〃緑の天国〃とばかりに笑顔を見せた。(つづく、堀江剛史記者)

写真=(上)「ドナ・ミエコ学校」の前で。大谷三枝子さん/移住地最高齢の橋本房枝さん(左)と長男博美さんの妻ひとみさん、「ここは住みやすいよ」と声を揃える

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