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日伯論談=第20回=ブラジル発=安楽恵子=スザノ日伯学園の経験=一生の宝を持った子供たち

2009年9月26日付け

 スザノ日伯学園(CENIBRAS)は、創立から約4年間で約30人の帰伯子弟を受け入れてきた。ここは、汎スザノ文化体育農事協会(ACEAS)により創立された9年制の初等教育機関で、日中通ってくる生徒の約9割に日語を教える。そのうち44%は非日系生徒になる。
 帰伯児童はそれぞれ違った経緯を持ち、違った処遇を必要としている。ある子供は日本で生まれ、別の子供は幼少期に日本へ渡り、全くポ語を話せない、一文を読むことさえ出来ない状態だ。また、日本を気に入り、日伯の学校を比較して帰伯したくなかった子供がいる一方で、何年か勉強しポ語を少しは話したりできる子もいる。
 一人一人違うため、子供の扱い方も区別しなければならない。午前は年齢に見合ったクラスで学習し、午後は各レベルに見合った補習クラスで学習するというスタイルを取る。読み書きが出来ない子には、教師が一人一人にそれを指導するなどして、実際の年齢相応のクラスについていけるよう調整される。
 ケースによっては、最初は日ポ両語を話す教師が担当し、後にポ語のみで指導を行う教師に交替するということもある。
 そのためにも、我々は単純かつ現実に即した教育法を実践する。例えば黒板を活用した授業では、クラスの仲間と一体になって授業に参加することが出来るのだ。
 日常生活を観察して我々が感じることは、休み時間などは同年代の子供と共に過ごし、朝の時間帯はポ語で、午後は日語で学習することが子供たちにとって良いのではないかということだ。
 大切なのは、子供たちが楽しく学びの場に通えることを保証すること。それは学習以外の面にあり、クラスの仲間たちと友情を育めるかどうかにかかっている。授業時間の中にも、レクリエーションやスポーツを楽しむ時間がある。そういった場面が仲間と触れ合い、気持ちを分かち合う機会になっている。
 心理学的観点から言えば、帰伯した子供は、彼らにとっての母国語である日語で会話する環境が必要だ。少なくとも日語コースなどで日に数時間は不可欠となる。
 学校への適応を容易にするものは間違いなくこのバランスだ。朝の授業では「私はまだまだ下手、クラスの友達が私を助けてくれる」。午後のクラスではこれが逆転し、「私がクラスで一番」という優越感を味わう。このようにして自尊心は保たれる。
 何年も同学園で学ぶ他の子供たちは、帰伯したばかりの新しい友達は最初こそ苦労するが、時間が経つにつれ適応していくということに気が付いている。彼らの間で「いじめ」があるという話は聞かない。
 「日伯」という同学園名の通り非日系44%、日系56%の生徒が混じる中、すでに子供たち自身生活の中でその差異と共存しているため起こらないのかもしれない。
 家族の不安やストレスを減らすため、教師と両親が定期的に話し合いの場を設け、子供がその学年についていっているか確認しながら、それぞれの子供に目標を与えることにしている。
 後に公立学校に登校させるため、最初から1年や2年などと期間を決め、時間と資金を費やすことができる間だけ子供を同学園に預ける熱心な親たちもいる。
 言葉の障害以上に複雑なのは、2カ国間の文化の違いだ。ここでの習慣は、日本では騒ぎになりうる。例えば拍手、抱擁、頬へのキスなどといった日常の何でもないあいさつがそうだ。ブラジル人の子供たちは、何も問題ないと思ってやったことで叱られる羽目になる。それは、他の国で教育を受けた結果なのだ。
 日本のブラジル子弟の受け入れ先となる学校も、入学してくる外国人生徒について話し合いの場を設け、外国のしきたりや習慣への知識を広げてくれたらと願う。そして、違いを理解した上で、それに敬意を払っていただければと考える。
 日本の団体も、情報が不足し困っている日系子弟に、何らかの形で援助を行おうと袖を捲り上げて取組んでくれていることだろう。
 言葉は使わないと忘れる可能性があり、そうなると重大な損失だ。
 社会の素晴らしい参加の一例には、IBM社の「メンタープレイス(相談場所)」プロジェクトが挙げられる。それは、日本IBM社の10人の役員が3カ月間、Eメールで同学園の10人の生徒と日語でコミュニケーションを図るというもの。2カ国間での先駆的なプロジェクトだ。選ばれた10人の生徒には、授業で問題を抱えていた3人のデカセギ子弟も含まれた。日語学習のあり方も関心を向けられてきたが、IBM社の例のように、今後も率先して取組まれるべき分野だ。
 このような状況の中、今この瞬間にも手助けを必要とし、我々が目を背けることが出来ないのは、子供たちを受け入れ十分な指導ができる環境のある学校に子供を入れる金銭的余裕のない帰伯する家族の存在である。
 我々教育者は、子供たちをデカセギ現象の犠牲者とみなしてはいない。なぜなら、今まで日伯で蓄積されてきた知識は全て、一生の宝となるのだ。したがって、両親も子供たちを日本へ連れて行ったことに罪の意識をもつ必要など全くない。大切なのは、学習を継続できるよう、ブラジルの学校に適応する準備を行うための十分な環境を与えてあげることだ。
 しかし、1つの疑問を投げかけたい―このような学校に通えない全ての子供たちにまで、我々だけで注意を注ぐことなど果して可能だろうか。

安楽恵子(あんらく・けいこ)

 1948年北海道生まれ、57年に来伯。州立学校の校長を経て、現在はスザノ日伯学園(CENIBRAS)校長を務める。

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