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人文研=コロニア今昔物語=安良田済さん=「コロニア文学界における鈴木南樹、古野菊生、武本由夫の存在」=連載《上》=生涯惚れぬいた南樹

ニッケイ新聞 2009年11月18日付け

 サンパウロ人文科学研究所は「コロニア文学界における鈴木南樹、古野菊生、武本由夫の存在」と題して、「第3回コロニア今昔物語」を10月20日、文協・新館1階で開催した。講演者は長年コロニア文学に関わり、様々な文学賞の選考委員を務める安良田済さん(94、山口)。また、同研究所より発行された『ブラジル日系コロニア文芸』の下巻の筆者でもあり、「第39回にっけい文芸賞」の散文賞を授賞した。当日は20人ほどが集まり、文学界の昔話に静かに耳を傾けていた。

 田中洋典所長の挨拶の後、安良田さんは、まず草創期について、第一号作品といえば諸説あるが、サントス上陸後に見たフォゲイラの祭りの様子を詠んだ上塚周平の俳句、「ブラジルの初夜なる焚き火祭りかな」だろうと紹介した。短歌に至っては1913年、鈴木南樹(以下、南樹)「山羊の乳搾る娘を盗み見つイッペーの花蜜我ただならず」と話した。
 山形県出身の南樹は早稲田専門学校を卒業後、正岡子規の句会に参加、向学心旺盛でロシアやフランス文学を愛読していた。やがて1906年に来伯。目的はないが、原因は失恋だった。「日本から遠くへ行きたい」という思いが南樹をチリに向かわせた。偶然、「移民の父」と言われる水野龍が同船者で、誘われるままにブラジルのファゼンダに入植した。
 南樹の初恋は渡伯前に遡る。ある日、南樹の母は隣町へ買い物へ行った先で急病になり、学校の昼休みに走って隣町で入院している病院へ看病に通うようになった。その時に病院で幼馴染のおたっつぁん(=田鶴子)に出会い、手に持っていた大きな柿を南樹の手に握らせて、「あんたにあげるよ」とくれた。
 おたっつぁんは当時11歳だったが南樹には天女のようにみえた。「こんなに美しい女だったか」と呆れるほど美しかったようだ。結局、南樹はその日から91歳までおたっつぁんを愛しつづけた。
 早稲田専門学校を卒業し、故郷に帰った南樹は地元と山形新聞社の記者を経た後、おたっつぁんの兄が局長を務めていた郵便局へ通信技師として働くことに。ただ、自宅が郵便局だったため、南樹はおたっつぁんに毎日会う事になり、内気な南樹は世間話すら出来ない程だった。
 「いつか告白したい」と思い、悶々としていた頃、おたっつぁんに結婚話があり南樹はどうすることもできずに嫁いでいった。そして南樹はブラジルへ帰ることに。
 南樹は恋と失恋、そして男性としての生理的な悩みにも苦しんだ。やがて、「童貞を守ることは自分の愛が神聖である」という原理を立てた。
 哲学書など読み悩み抜いた結果、「恋愛は必ずしも性欲を目標としない。恋愛は悲しいもの。恋愛は言葉ではなく体験である」と自分で言葉をつくり、「童貞に拘る事はない、恋と性欲とは別のものだ」と悟った。
 しかし、「どうしても童貞を失わないとすっきりしない」ということで、娼家を回り、あっけなく童貞を失い、「あれだけ神聖視し守ってきたものが、こんなにあっけなく終わるのか」と自分でも呆れたそうだ。(つづく)

写真=講演をする安良田さん

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