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「子、孫育て終わって生き甲斐」=日伯友好病院=奉仕グループ招き謝恩会=シーツなど8千点贈る

ニッケイ新聞 2009年12月22日付け

 サンパウロ日伯援護協会(森口イナシオ会長)は15日昼、日伯友好病院に対して奉仕活動を行っているボランティアグループ(山下光子責任者)の22人全員をリベルダーデの社会福祉センターに招き、日頃の感謝を込めて謝恩忘年会を開いた。森口会長、別府オズワルド同病院長ら約40人が出席した。
 友好病院が創立してから今まで、21年間絶えることなく続く同活動。シーツ、枕カバー、パジャマ、手術用シーツなど、今年は13種類、計8320点を病院のために仕立てた。
 最高齢の谷沢イキさん(86、福島)をはじめ、遠くはオザスコ、モジ・ダス・クルーゼスから集まり、毎週水曜日朝7時から午後3時まで活動。裁断、ミシンでの裁縫、検査を手分けし、プロ顔負けの製品を仕立てる。昼食には田辺スミ子さん(80、大阪)が腕を振るう。
 「内職で夜なべで縫い物したりしてたから慣れたものですよ」と谷沢さん。藤井郁子さん(79、愛知)は、「『オセはバカ。1センターボも入らないのに』って言われるけど、楽しいのよね」と生き生きした表情を見せていた。
 森口会長は昼食会で、「人のために尽くすことは易しいことではない。長年奉仕して下さり、感謝の気持ちでいっぱい」と深い感謝を示した。
 グループを代表して井口タキ子さん(84、長野)は、「たった週1日の奉仕で、素晴らしい会を開いていただき嬉しい。仲良く、明るく、朗らかに来年も頑張りたい」とあいさつし、拍手が送られた。
 山下忠男専任理事より責任者の山下さんに、「ありがとう」とプレゼントが贈られ、また同グループから別府院長に布巾などが手渡され、尾西貞夫副会長の発声で乾杯した。
 友好病院ができる以前から、同活動をしていたという一番のベテラン、高桑鈴子さん(78、二世)は、「子育ても孫育ても終わらせて、こうして皆さんと一緒にできるのが楽しいんですよね。体が続く限り続けたい」と話していた。

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