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ロンドリーナ市制75周年=躍動する新都のいぶき=連載最終回=山崎監督の助言で発明=全伯に広まるマツリダンス

ニッケイ新聞 2009年12月29日付け

 「楽しくやらないと若者は集まりません」。そう語る城間ミチさん(46、二世)は、両親とも沖縄系で、夫の城間ルイス清幸さんもロンドリーナ沖縄県人会会長という沖縄魂を秘めた人物だ。
 カラオケが大好きで、1984年4月にテレビ東京系の「外国人歌謡大賞」にブラジル代表として出演し、フレンドシップ賞を獲得した。帰国後に友達から「歌を教えて」と頼まれて86年にミチ・カラオケ教室を始め、今年25周年を迎えた。
 「カラオケというのは個人技の世界で、同じ教室に通っていてもライバルの関係で、常に競争があるからギスギスしたものになる。日本文化が好きな者同士、何か一緒に楽しめることでないか」と考え、文化普及を目的にしたグルッポ・サンセイを設立した。
 96年に土地を買い、00年に会館を建設した。カラオケ教室から始まった団体だが、立派な建物を建て、約200人もの10代から20代の若者が中心になって活動している珍しい団体だ。
 会館が建つ前は、同じ場所で野外練習していた。「雨が降り始めると、走ってカラオケ教室の建物にみんなが駆け込んでた」と笑う。
 「NHKで美術の仕事をしていた奥田トシコさんが20年間、毎年来ていろいろ支援してくれている。この建物にも大きな寄付をしてくれた」という通り、日本とのつながりも強い。
 「会館ができてから活動の幅が広がった」。今ではYOSAKOIソーラン、和太鼓、マツリダンス、漫画アニメ、コスプレなど様々な教室をしており、「日本文化が大好きな若者がどんどん集まってくるんです。そうすると、日本語を勉強したいと言い出す人も出てきて、今は日本語教室もやっています」。
 マツリダンスが生まれた経緯も興味深い。映画『GAIJIN2』の製作準備に訪れた山崎千津薫監督と、98年に城間さんは知り合った。マリンガ文協に視察にいき、盆踊りの一環として若者たちが『ギザギザハートの子守歌』(チェッカーズ)を独自の振り付けで楽しそうに踊っているのを見て、新しいセンスを感じた山崎監督は、城間さんに「あのような踊りに力を入れなさい」とアドバイスした。
 そこで、城間さんは曲の種類を増やし、「日本の歌謡曲で」「その前には必ず盆踊りをやって出発点を忘れないようにする」「盆踊りの伝統的な振り付けを必ず混ぜる」という独自の約束事を決めた。02年からグルッポ・サンセイが主催するロンドリーナ祭りの中心アトラクションとして育ち、数千人の若者が一斉に踊るようにまでなった。レパートリーは約20曲に増えている。
 YOSAKOIソーラン全伯大会3連覇を飾ったメンバーが振り付けを担当、音楽と踊りのレベルはお墨付きだ。
 今ではサンパウロ市でもマツリダンスをやるようになってきた。「サルバドール、マナウス、ゴイヤスにも講習会に行きました。全伯に広まってきてますよ」と城間さん。
 移民新世紀――。次の百周年に向け、新しい日系活動の脈動は確実に広がっている。(終わり、深沢正雪記者)

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