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「平成」の世に激動する世界=ご在位20周年=ご成婚50周年=祝い事続いた昨年

ニッケイ新聞 2010年1月1日付け

 昨年は天皇陛下ご在位20年であり、11月12日には政府主催の祝賀式典が開かれた。陛下はこれに先立つ会見で「国民が英知を絞り、相携えて協力を進めることにより、日本が直面している困難を一つ一つ克服されることを願っております」と、常に国民と共に歩むお気持ちを述べられた。平成21年は陛下が皇后さまとのご成婚から50年であり、天皇・皇后さまは金婚式を迎えた民間の100夫婦を皇居に招きお茶の会で親しく懇談したのも楽しく微笑ましい話題となった。

 あれから20年―。当時、政権を担っていた竹下登首相や「平成」を発表した小渕恵三官房長官も鬼籍に入りもういない。あの昭和天皇の崩御から今上陛下の即位の頃、日本は寒い。その厳寒の中を都民や地方から駆け付けた人々が弔問のため皇居へと向かい、激動の昭和を歴史とし、新しい「平成」を迎えたのである。
 これからすぐ後には、東西冷戦の「ベルリンの壁」がドイツ市民らの手によって破壊され、東欧諸国の共産国家の政権打倒が続き、ルーマニアのチャウシェスク大統領の処刑や各国の政治混乱が起こりマルキシズム国家は滅びる。盟主を任じていたソ連も、こうした騒乱から逃れることはできず遂に崩壊し、ロシアになるという世界的な変動であり、英国チャーチル首相の「鉄の壁」は崩れ去ったのである。この激変にはレーガン米大統領の功績が高かったのも忘れまい。
 これについては陛下も会見で触れているが、しかしーとして「その後の世界の動きは、残念ながら平和に推進する方向には進んでいきませんでした」とし、2001年のNYテロで3千人超の命が失われたことやアフガニスタンとイラクで戦争が起こった不幸を嘆いておられる。日本では6400人以上の市民らが犠牲となった阪神淡路大震災について述べられ、国民と哀しみを共にされている。こんな悲劇を語りながらも、明るい話題にも目を向けられているのが、国民には嬉しい。あの大震災のなかで市民や他県から駆け付けた人々が自らボランティアをしたいと申し込み火災の防止や緊急救助を手伝ったのをとても高く評価し、こうした相互互助の心を若い世代にも繋げてもらいたいとしている。
 陛下と皇后さまは、いつも国民と一緒におられ歩みも共にされている。天皇に即位されてから15年を掛けて47都道府県を巡幸し、都会や地方に暮らす人々と親しく語り合い、皇室との結びつきを強めるように努力されている。お年寄りや豪雨などの災害犠牲者らとお話しの際には、陛下も皇后さまも膝を折ってしゃがみ込み激励しながら「頑張って下さい」と声を掛けられる。こうした風景は平成になってからのものであり、ここに新しい皇室の息吹がまざまざと生きているとの印象が強い。
 陛下が美智子さまとご成婚されてから50年であり、金婚式を迎えられたのを記念し、お二人の暮らし方を撮影した映像をDVDで拝見したが、とても素晴らしい。宮城内のご散歩のときにも、植物や生き物に詳しい天皇が木陰にひっそりと咲いている草花についてご説明なさり、笑顔で楽しそうに話されるお姿はとても親しみやすく美しい。 お二人の馴れ初めのきっかけとなったテニスのコートに立たれると陛下もラケットを力強く振り、応援席の皇后さまは拍手を送る。ご結婚式は昭和34年4月10日だったが、国民は沸きに沸いた。あの頃は、テレビもまだ白黒だが全国の人々は、どうしても皇太子と美智子さまのご成婚を見たいと望み、テレビは大いに売れ普及した。それと、美智子さまが、民間のご出身で皇太子に嫁ぐという日本史上初の出来事への関心が非常に高かった。このお二人の結びつきには、慶応義塾の塾長だった小泉信三氏(東宮教育参与)の力が大きかったし、小泉氏は美智子さまへの皇室教育にも携わった。当時は「みっちぃー」や「ミッチィ・バンド」が流行し、それはーそれは大騒ぎが続いた。
 陛下は、あの戦争で亡くなった兵士や民間人の慰霊にもご熱心で広島や長崎、沖縄にも赴いている。
 戦後60年の平成17年には、激戦のサイパン島を訪れ多くの在留邦人が尊い生命を絶った「バンザイクリフ」などに向かい、皇后さまと共に深々と頭を下げられたのである。
 こうしたご多忙な日々のうちにも、陛下は五穀豊穣と国の安寧と繁栄を祈る宮中祭祀を年間に30数回も執り行っている。陛下は客年の誕生日で76歳である。しかも、ガン手術後のホルモン療法は続き、胃や十二指腸にただれや出血がみられる「急性胃粘膜病変」と診断され、体調を崩されている。こんな厳しい状況にありながら国民の力に大きな信頼を寄せている。
 皇位の継承についても、深く案じられ「国会でよく審議してほしい」「皇太子と秋篠宮の考え方を尊重してもらいたい」と望まれている。 悠仁さまがいよいよ幼稚園―学習院ではなく、御茶ノ水女子大附属に進まれるのは喜ばしい。しかし、悠仁さまを含めて皇位継承者は7人であり、伝統の男子系を守るのか、あるいは小泉元内閣の頃に審議会が認めた女系天皇を認めるのかのかの論議をきちんと進めるときが来ている。皇室典範の内容を議論し、皇室の将来像をきちんと描く必要があるのではないか。寛仁さまのご意見である旧皇室の復帰を含めての幅の広い審議と論戦が展開されることを期待したい。  (遯)

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