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秋田県人会=小松さん、何で辞めちゃったの?=「休みたい」の一点張り=川合新会長「理由は言えない」=しこり残した役員改選

ニッケイ新聞 2010年1月29日付け

 「とにかく休みたい」――。今年、創立50周年を迎える秋田県人会。母県から慶祝団を迎え盛大に祝う準備が進められるなか、小松雹玄会長がわずか1期で辞任した。JICAブラジリア事務所元所長という異色の経歴もあり、鳴り物入りで2008年に会長に就任した小松会長。今年の活躍を期待し、「せめて後1年」と会員らが慰留したようだが、その意志は固かった。会長に就任した川合昭顧問は、「(辞任の理由は)口が裂けても言えない」と口を閉ざす。その頑なな態度に違和感を覚えた会員も多く、他コロニア団体の役職も辞していることから「帰国するのではないか」との声も聞こえており、一致団結すべき節目の年の何とも後味の悪いスタートとなったようだ。

 「とても几帳面な人で頼んだことはやってくれた。ダジャレで笑わせてくれ、友達感覚で付き合えた」と婦人部の女性は語る。
 会員の評価も高く、この度会長に就任した川合昭氏も「彼はピカイチですよ。あれほど実行力のある会長はいなかった」と手放しで褒める。
 別の婦人部会員は「(会長を辞任できないのなら)脱会すると言って、頑として聞かなかった。せめてあと1年。それが会員みんなの総意でした」と残念顔だ。
 小松氏は就任後から、精力的に会の運営に参加。少なくとも週3、4日は、会館に顔を出していた。
 09年には、母県に赴き、今年の創立50周年の打ち合わせも行っていたことから、誰もが続投するものと考えていたようだ。
 小松氏に話を聞くと、「気になるとやらないと済まない性格なんですよ。県人会活動は会長に責任が掛かりすぎる」と話す。
 「熊本県人会の福田康雄元会長(08年死去)を思い出すんですよ。亡くなる1カ月前に会ったとき、『コロニアは行事が多くてかなわん』と疲れた様子だった。自分も頭が疲れた。会長は元気な時にやらないと、周りに迷惑がかかる」と気持ちを語った。
 創立50周年に関しては、「実行委員としてお手伝いはする」と会活動への協力姿勢を見せた。
 シャッパ提出期限の12月には、辞意を表明していたことから、2、3世会長も検討されたが「時期尚早」との意見が多く、過去2回会長を務めた川合顧問に白羽の矢が立った。
 ある会員は、「(川合氏は)ベテランだから安心だけど、若者を育てないといけない時期」とある意味、後ろ向きといえる今回の役員改選に複雑な表情を見せている。

総会=川合昭氏が会長に就任=今年、創立50周年も

 ブラジル秋田県人会は24日午前10時から、定期総会を同会館で行い、43人が参加した。役員改選も行われた。
 昨年度の活動報告では、母県から技術研修員の受入れ中止、会館の改修工事について説明された。今年行われる県人会創立50周年式典のための母県訪問、モジの高岡専太郎学校へ80冊の本を寄贈したことが報告された。
 本年度事業案は、同県人会創立日(5月16日)に合わせた「創立50周年法要」、東北・北海道祭(9月)、創立50周年式典(10月)、ピクニック(11月)などが発表された。
 なお、恒例の「キリタンポ会」は大きな行事が多いため、本年度は行わないことが承認された。
 09年度の収支報告は、収入約20万2千レアル、支出約11万4千レで、約8万7千レを繰越し。
 今年度予算は20万レアルで、会費は60レから70レに、50周年式典は別予算を組むことが説明された。
 続いて、役員改選が行われ、単独シャッパで次の通り信任された。
 過去2回会長を務めた川合昭顧問(75)が会長に就任し、「たかが会長、されど会長というが、責任の重さを考えると大変。前会長と比べると10分の1の力もないが、頑張りたい」と表情を引締めた。
 一期2年で役目を終えた小松前会長は、「会はみなさんの協力があってこそ。執行役員だけではなく、みなさん出来るだけ会館に出向き、支え合ってください」と話した。
 続いて行われた新年会には、地方からもあわせて50人以上が参加。川合新会長の音頭で乾杯、ビンゴなども行われ、盛会のうちに終了した。
 【秋田県人会新役員】
 会長=川合昭、第1副会長=大石博道、第2副会長=舟木良治、第3副会長=青木ヴァギネル昭広、第4副会長=阿部カルロス健二
 書記(ポ語)=米谷アメリア律子、(日語)=田口寛二、第1会計=大間知アルフレッド諒士、第2会計=三船広土、正監事=菊地雅夫、菊地栄、今野喜一郎、監事補=尾崎功、奥村重、安藤光明。

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