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コラム 樹海

ニッケイ新聞 2010年3月16日付け

 京都御所の前に学習院が設置されたのは幕末の弘化四年(1867年)。公卿の子弟らを育成する場であり、明治になると東京に移り、皇族や維新で顕官になった華族の子弟が通う学校になる。あのワンマン宰相の吉田茂氏も、ここから東京大学に進んだし、三島由紀夫など多くの人材を世に送り出している。こんな特殊性もあり終戦の頃にはGHQによる廃校の動きも強かった▼戦後は一般の学校と同じになったのだが、60年代近くになると農家やサラリーマンの子らも自由に入れるようになったし、私事ながら高校の同級生が2人も入学し、びくり仰天したものである。これはー大いに喜ぶべきことながら、どうもこの頃から学内の民主化が進み、悪く言えば自由闊達に走りすぎた嫌いがあるように思う▼陛下や皇太子、秋篠宮さまも学んだし、旧華族の方々も多い。このような事情もあってあの佳き時代の慈しみや気質も豊かであろうと信じたいけれども、どうやら初等科(小学校)では、男児の暴れっぷりが度外れらしい。週刊誌は「学級崩壊」とまで報じ、緊急父兄会も開いて対応を話し合った▼愛子さまが、登校を渋るのにも、こうした級友らの無謀な仕草が影響していそうだ。東宮太夫と学習院側幹部までが記者会見する醜態になったし、事は容易に解決しそうにもない。それでも雅子妃殿下が付き添い一時間だけ授業を受けているそうだが、やはり学習院にもきちんと規則を守る仕来りの確率を急ぐべきは論をまたない。小学校の教室は楽しみと歓びが第一なのであり、国語や算数を学ぶのはここから始まる。(遯)

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