ホーム | 日系社会ニュース | 富山県人会=過去と未来つなぐ記念式典=移住百年、創立50年と友好提携25年=第1回移民3家族も揃う=石井知事「県人の誇り」

富山県人会=過去と未来つなぐ記念式典=移住百年、創立50年と友好提携25年=第1回移民3家族も揃う=石井知事「県人の誇り」

ニッケイ新聞 2010年8月3日付け

 富山県人(根塚弘会長)は県人移住100周年、県人会創立50周年、サンパウロ州・同県友好提携25周年を記念した式典を1日、サンパウロ市の宮城県人会講堂で挙行した。母県から石井隆一(たかかず)知事、鹿熊(かくままさかず)正一県議会議長など53人の親善訪問団が出席。サンパウロ州各地、ロンドリーナ、クリチーバ、アリアンサなど各地から多数の会員が集まり、その他の県人会関係者らを含め450人以上が会する盛大な式典となった。また会場には第一回県人移住者である扇浦(おぎうら)祐蔵さん、青木吉太郎(きちたろう)さん、内山仁之助さんら3家族の子孫も出席した。

 午前10時過ぎ、3つの節目の年を祝う式典が始まった。
 先没者への黙祷、日伯両国歌斉唱の後、段上に登った石井知事、鹿熊議長、仲外喜雄(ときお)同県議会議員、板倉均(ひとし)北日本新聞社副社長、木多喜八郎文協会長、森口イナシオ援協会長、根塚会長、小林雅彦首席領事、日野寛幸(ひろゆき)サンパウロ州教育局理事、神谷牛太郎市議らが紹介された。
 根塚会長は県費留学、15年以上になるサンパウロ大学日本語学科の学生に対する奨学金制度などに対する母県の貢献に感謝の意を述べ、「先人の苦労のおかげで今こうして日系人が信頼され活躍している。これからも子弟の育成に力を入れていきたい」と述べた。
 石井知事が祝辞として県人会の歩み、各分野での日本人や日系人の活躍に、初の来伯で強く感じた先人の努力と苦労を「県人のありがたい誇り」と称えた。
 知事から第一回県人移民の子孫にあたる扇浦ユウゾウさん(79、三世)、内山サチコさん(83、三世)らに特別感謝状、銀杯を贈呈。そのほか、部門別功労賞、記念感謝状、高齢者表彰など、県人会関係者、県、州の交流に貢献した計43人が県表彰を受けた。
 根塚会長が記念品を訪問団へ贈り、訪問団からは目録、同県の伝統工芸品である高岡漆器の記念パネルが県人会に贈られるなどし、式典実行委員長の市川利雄さんの閉会の辞をもって式典は終了した。
 式典後の祝賀会では石井知事、鹿熊議長、根塚会長とともに、扇浦さん、内山さん、扇浦さんの姉にあたる長森ナミエさん(82)、青木照夫さん(68、富山)ら一回移民の子孫らがケーキカットを行った。
 「厳しくなく、優しかった」と扇浦さんは祖父祐蔵さんの人となりを話す。生前の祐蔵さんは近所に住んでおり、カーザ・ベルデで金魚売りをしていたという。
 「先祖の100年の節目にどうしてもブラジルを訪れたかった」と話すのは、吉太郎氏の弟の孫にあたる青木照夫さん。
 訪問団の一員として来伯し、式典のあった第3アリアンサなどで当時の苦労話を聞いたという。「感無量。(日本生まれの)青木家からブラジルの地を踏んだのは吉太郎と私だけ。来た甲斐があった」と感慨深そうに思いを語った。
 吉太郎さんの孫らの消息は、式典前夜にようやく分かったという。会場で面会を果たした青木さん、子孫たちが共に舞台に上がると、会場からは大きな拍手が起こった。
 石井知事は式典後の取材に対し、厳しい経済状態の中でも県費留学、サンパウロ大学への奨学金制度などの存続の意思を表明し、「富山県だけのこういった制度を通じて、両国の深い交流のため2つの文化を理解する人材の育成を続けて生きたい」と答えた。

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