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佐賀式典=百年で家族2百人以上に=「祖父母のおかげで今がある」

ニッケイ新聞 2010年8月5日付け

 1919年6月に906人を乗せて着伯した第二回移民船「旅順丸」。同船で海を渡った佐賀県出身者15家族60人を草分けに、戦前戦後を通じて同県から約4500人がブラジルへ移住した。
 県人ブラジル移住の祖となった第一回移民中西貞六氏は、妻タネさん、息子金馬さんの3人(いずれも故人)で海を渡った。末娘の赤坂・中西ふさ江さん(85、リオ在住)は出席できなかったが、式典には孫ら5人が訪れた。
 ふさ江さんの代わりに壇上に上がった娘の赤坂ジルセさん(63、リオ在住)によれば、貞六夫妻は9人の子宝に恵まれ、今は5世代目。家族全体では「200人はいると思う」という。「祖父母がブラジルに来て、不安と困難と闘い、種を蒔いたからからこそ、今日の家族がある。誇りに思っています」と笑顔を浮かべた。
 アララクアラ方面のファゼンダに配耕された貞六氏一家はその後、ビリグイ植民地を経てロンドリーナに定住。貞六氏は86歳で亡くなった。
 カフェから始まったブラジル生活。貞六氏はロンドリーナでもカフェを栽培していたという。
 長男金馬氏の息子、三良さん(73)は、「60歳を過ぎても仕事をしていて、『何アルケールに植えたら、いくら収穫できる』というようなことは全部分かった。誰も敵わなかったですよ」と思い出す。
 「祖父の名が呼ばれ、嬉しく、懐かしかった」と喜ぶ三良さん。渡伯当時の話はあまり聞いたことがないが、「マラリアにかかって歩けなくなり、這って家に帰ったこともあったそうです」と祖父の思い出を振り返った。
 三良さんの息子で、現在は愛知県でスーパーを経営するファビオ貞樹さん(39)も一時帰国の機会に式典を訪れた。「顕彰を受けてすごく嬉しい。8月に日本へ戻ったら、佐賀に行ってみたいと思います」と話していた。

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