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芸能生活60周年迎え=作曲家島田正市記念特別公演=丹下セツ子さんら豪華競演も

ニッケイ新聞 2010年8月14日付け

 ブラジルカラオケ界の大御所で作曲家の島田正市さん(74、埼玉)が、自らの芸能生活60周年を記念した特別公演を9月12日(開演正午・午後4時の2部制)に文協大講堂で開く。丹下セツ子、花柳龍千多、田代寿子さんらが友情出演するほか、響太鼓やコロニア歌手らが出演するステージとなる。案内のため12日に来社した島田さんは、「一つの区切りとして、盛大にやりたい」と張り切り、多くの来場を呼びかけている。入場券(35レアル)は、明石屋、ミニ着物、喜怒哀楽、トミ商会、ハイカイで一般販売している。公演に関する問合せは島田歌謡教室(11・3209・4431)まで。

 1945年3月10日の東京大空襲で家族を失い救護施設で日々を送っていた島田さんは、秩父宮妃勢津子殿下の母松平信子さんが49年に設立した社会福祉法人『子供の町』に入所する。
 10歳の頃からアコーディオンを通じて音楽と親しんでいたこともあり、親代わりだった山崎まさのさんが携わる音楽公演で舞台に立つ。『カスバの女』で有名なエト邦枝と同じ舞台で「ラ・クンパルシータ」を演奏したことも。
 13歳の時に作曲した『子供の町の歌』がラジオ東京やNHK、新聞などで取り上げられる。島田さんの〃プロ〃としての音楽活動の始まりだ。
 厚生省・外務省の事業として、ほかの戦災孤児3人と共にブラジルに移住が決まる。見習航海士として、1952年末に神戸を出港、処女航海となった「さんとす丸」に乗り込んだ。
 それから4年半、ノロエステ線リンス近くの「新田果樹園」で働くことになる。
 「ゆくゆくは財産を譲るとか言われてね。後から知ったんだけど、果樹園は南銀の抵当に入っていたんですよ」。契約は4年といわれたが、実際は2年。給料を受け取ることもなかった。「完全に騙された」
 その間、バウルーの『のど自慢大会』にアコーディオン伴奏者としてステージに立つこともあった。
 「そしたら受けてねえ。『ビス、ビス(アンコール)!』って。『歌いらねえ』なんて叫ぶ人もいたくらいですよ」と振り返る。
 島田さんを頼って、同じ果樹園に入植したものの、先に出聖していた大村吉信さん(作曲家)を頼ってサンパウロに出るや「ラジオ・クルツーラ」に挨拶に行った。
 バウルーでの噂を聞きつけていたアナウンサーの内海博さんに乞われ、すぐにレギュラー出演が決まる。クラブや様々な催しのアコーディオン奏者としても活躍する。
 そのかたわら、『サンパウロ・ブルース』『サンパウロ慕情』『リベルダーデ音頭』、神戸一郎が歌った『恋のバイバイ』などを次々と発表、67年にはそれらの作品を集めたLPをカリフォルニア・レーベルから発売する。個人の作品集としてはコロニア唯一。
 その後、コロニア歌手の指導を続け、現在は全国カラオケ指導協会ブラジル本部長も務める。08年の百周年のテーマ曲となった「海を渡って100周年」も作曲、まさにコロニア芸能界の〃生ける歴史〃だ。
 「音楽一本でやってきたのは僕くらいじゃないかなあ。75年に初帰国したとき、(親代わりの)山崎さんに『ブラジルにやるんじゃなかった』って言われましたけど、日本でも音楽をやっていただろうし、来て良かったと思いますよ」と和やかな笑顔を見せる。
 自分の公演を行うのは今回初。かつて数多くの移住地を一緒に巡業した丹下セツ子さんが発起人となり準備を進め、今回の公演が実現した。
 龍千多社中、花柳寿美富浩社中による日本舞踊、響太鼓の演奏、寸劇が舞台を彩る。コロニア歌手らのバックを務めるのは、島田さんが指揮するゴールデン・スターズ・オーケストラだ。
 大サロンでは、芸能生活60年を振り返る写真150枚も展示される。
 島田さんは、「1日として休もうと思ったことがなかった」とこれまでの活動を振り返りながら、集大成となる本公演への来場を呼びかけた。

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