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日本語教育リレーエッセイ=第10回=バストス日語教育の考察=中=宇佐美宗一

ニッケイ新聞 2010年12月18日付け

 その頃パウリスタ沿線のコロニアの各地は、既にポ語社会であった。その為日本語離れが進んでいて、日本語存亡の危機が叫ばれていた。
 外国語禁止法令はあったが、殆んどの文協が、会舘内に日本語学校を設置していた。14歳未満の子供を対象に、既に日本語教育が行われていた。父兄は経費を負担して、子供達に日本語を習わせていた。
 そして、汎パ連合会では、お話し大会、日本語の書き方コンクール等の、イベントがしばしば行われていた。バストスもこれらのイベントに参加していたが、その成績は殆んどの場合14校中最下位だった。
 私は汎パ連合会の役員として、しばしば審査員等に参加していた。仲間の審査員の先生方から、「如何してバストスの様な日本人の町でこんなに成績が悪いのか」とよく聞かれて返事に困った事がある。それ程バストスの日本語教育は低調であった。それに引き換えパウリスタ沿線の各地域の日本語教育はこの時期は全盛期であった。しかし1990年頃を境に汎パウリスタ沿線の日本語教育は衰退していく。
 1968年から続いている、汎パウリスタ連合会は、当初は17都市で始まり、17の日本語学校があった。最近では14校に成り、現在は4校に減ってしまった。
 衰退の原因は、この頃より日系コロニア社会の世代交代期に入っていた。汎パウリスタ沿線の文協会長が次々と二世に代わった。各地区の文化協会も二世の文協会長の指導によってイベントも、カラオケ、盆踊り、等の娯楽が中心になった。日本語はカラオケ等の娯楽文化以下に考えられるようになる。そして日本語学校が日系人の比較的少ない町から次々と姿を消していった。
 ひと昔前の一世会長時代の文協では、日本語は日本文化の根源であり、子供達の日本語教育は必須であった。経済面で見るとお金がかかって苦労が多く面白さのない日本語は消えて、娯楽の方に走り易く、それが文協の日本文化活動の中心事業となって行っても、誰も不思議に思わなくなっていた。
 私が経験した事だが、ある日の汎パウリスタ連合の役員会で、配布された議事進行予定表が、上段にポ語、下段に日本語で書かれてあったのを1地区の文協会長が「如何して日本語を入れたか、この中で日本語が読める者は20%もいないぞ」と抗議があったが、誰もそれに異議を言うものがいなかった。出席者の殆んどが地区の文協会長級であった。各地区の文協でもこうした考えで指導されていた。日本語が日本文化の中から消えつつある事を目の当たりにした出来事だった。
 またこの地域の日系コミュニテイに、汎パウリスタ連合文化体育協会とパウリスタ連合カラオケ愛好会がある。両方の団体の役員の顔ぶれは殆んどが同じだが、年度初めに1年間のイベントの年間日程を決めるのは、先ずカラオケ愛好会が日割りを決めた。余った日程を汎パの文化協会が貰う事になっている。
 一度愛好会に頼む用件があって、当時の汎パの藤沢会長とカラオケ愛好会の総会に行った事があったが、先ず出席の許可を貰って、そしてやっと用件を頼んだ事があった。これを見ても汎パの日系を代表する団体はカラオケ愛好会で、文協は愛好会の承諾なしでは何事も決められなく、影が薄い存在に見えた。
 世代が代って二世の会長が次々と誕生する事は、一世にとって長年望んでいた夢だったが、一世からのバトンタッチが間違った渡し方をしたのではなかったか。二世に日本文化をしっかり理解してもらってから倫理を尽してバトンを渡すべきではなかったか。
 バストスの文協の場合は少し様子が違っていた。バストスのような一世中心の集団地では、ブラジル政府に注目されやすく、ブラジル国の法令順守の考慮が必要であった。1990年代になって状況は一変する。文協会長が一世から二世の時代になると、二世には、ブラジル人としての自負があった。何のしがらみも無く自由に振舞えた。
 日本語教育に対しても、積極的に動く。早速文協敷地内に、3教室と1室の教員宿舎と事務室を備えた日本語学校を建設する。これによってバストスの日本語教育は、戦後続いた長い冬の時期が終り、俄かに活性化する事となった。その他の行事も二世の役員体制になって、目を見張る改革があった。日本語重視、高齢者のイベント優先、カラオケ等の娯楽イベントは従で、特に我々高齢者には手厚いサービスがある。これぞ本来の文化協会の活動であり、数ある文協の中でも模範的で倫理感溢れる活動状況であると思う。(つづく)

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