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第36回県連移民の故郷巡り=懐旧と復活のモジアナ線=最終回=無縁仏に手合わせて感謝=最も古い地から新芽吹く

日系社会ニュース

ニッケイ新聞 2011年4月29日付け

 参加者の飯田正子さん(二世)は泣きながら拓魂碑に焼香し、「この近くでお婆ちゃん(今川オトミ、徳島出身)が亡くなっているはずなんですが、お墓がどこかわかりません。それで、きっとここで亡くなっているものと思ってお線香を上げさせてもらいました」と眼を真っ赤にしながら語った。
 林副会長がモジアナ沿線史の概略を一行に語った。「グァタパラ耕地は日本移民が来るたびに迎え入れ、1914年の若狭丸では実に104家族も配耕された。高知県人はコチア植民地へ集まり、また平野植民地や東京植民地ではマラリアに苦しめられた。みなさんが立ち寄られたモコカには実は1913年頃に上野米蔵(上野アントニオ元下議の実父)が入植してマラリアに罹り、パラナに転住した歴史もあります」などと解説した。終戦後に空軍がこの地域にDDTを散布してマラリア蚊を撲滅したために、戦後は流行らなかったという。
 参加者の照屋幸栄さん(77、沖縄)は「今回の旅でグァタパラの歴史が一番心に残った。初期移民の骨を集めて拓魂碑を作るとは、本当に素晴らしいことをした」と賞賛した。
 今回の参加者の中で最高齢の小原綾さん(89、岩手)=ボツカツ在住=は「林副会長のお話が分りやすくてすごく良かった。ただ、小泉首相がヘリコプターで降りたところはどこかしらと知りたかった。せっかくですから、降りた地点に碑でも建てられたらどうでしょうか」との感想をのべた。
 全36回の故郷巡り中、実に29回も参加している田川富貴子さん(74、三重)=サントアンドレー在住=は「旧耕地では墓石も壊れて、名前も分らない無縁仏になっていた先輩移民を集めた拓魂碑の前で、『故郷』を歌い、捧げさせてもらったことはまさにこの旅の主旨、意義そのもの。遠い故郷を想いながら帰ることができなかった先人らの気持ち、父母への感謝などを思いながら、じっくりと歌わせてもらった。今まであちこちで歌ってきたが今回が一番良かった」としみじみのべた。
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 故郷巡り参加最多数を誇る和田一男さん(86、二世)=ソロカバ在住=に、今回の旅を通して一番印象に残った場所を尋ねると、即座に「ジャボチカバルが一番印象に残った。少ない家族数であれだけ活動しているのは立派だ」と答えた。
 その妻、始さん(はじめ、81、二世)は「それぞれ良い所がある」としばらく考え込み、「サンカルロスの一生懸命に文協を盛り上げている若者の雰囲気が良かった。会館が使われなくなってお化け屋敷のようになっていたのを良くあれだけきれいに直したわ。百周年を機会に、あのように復活したことを知って、とても安心した」と語り、最も歴史の古いモジアナ線から08年を機に新芽が吹いている様子に安堵の表情を浮かべた。
 一行は第3日目にオリンピア市のラランジャイス温泉レジャー施設でゆっくり身体を休めた。パウロ・マルーフサンパウロ州知事(当時)が石油用に試掘した掘りぬき井戸から出た温泉を利用した施設で、流れるプール、波のあるプール、滑り台プールなどいろいろな遊戯施設が整っており、毎週末に家族連れでごった返す地域最大の有名レジャー施設に育った。
 最終日にはリメイラ市の味の素工場を見学した。56年にサンパウロ市に事務所が設置され、77年から当地での生産を開始した。同グループは世界21カ国に展開し、約3万人の雇用を生んでいるが、今では当地工場(従業員約2千人)が最大の生産量を誇るまでになったという。
 29日夕方6時にリベルダーデ広場に無事到着し、最後の別れを惜しんだ。(終わり、深沢正雪記者)

写真=拓魂碑に焼香し、手を合わせる参加者のみなさん(上)/和田一男さん


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