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ブラジル一の日本町に=リベイラ河畔レジストロ=独自のPR=関係者に思い聞く

2005年7月28日(木)

 日本〃開拓〃移民発祥の地、レジストロ。多くの日本人が町の発展に寄与してきた歴史は、日本名が付けられた通りの多さでも分かる。リベイラ河畔にあるKKKK(旧海外興業株式会社)は現在、日本移民資料館として活用され、サンパウロから向かえば、鳥居が町の玄関としてそびえ立つ。灯ろう流しが町の風物詩となるなど、日本の影響が色濃い町の一つだ。リベイラ川の緩やかな流れはかつて、移民を運んだ。年に一度、川面に漂う幻想的な光は人を呼び、町を活気づける。先月、聖市で開催された観光EXPOで「日本移民街道」をPRするなど、同地の活性化に取り組む人たちの思いを聞いた。
 「え? その話は聞いてないですね」。レジストロ日伯文化協会の山村敏明前会長は携帯電話片手に首を傾げた。
 週間で発行される地元紙「レジオナル」に掲載された記事〃山村氏にレジストロ市民憲章〃を読んだ、知り合いからの電話だった。
 姉妹都市、岐阜県中津川市との関係強化に貢献し、文協会長として同市の文化、福祉に尽力した、というのが受章の理由。三人の受章者中、二人が日系だ。
 二十二日、市内ホテルでパラナ州も含めた近隣都市約三十の市長及び代表者が集まり、〇四年から行われている「地域発展プログラム」の会議を行った。
 商業、工業、そして観光開発が議題だった。レジストロ市を含む近隣七市は、現在取り組んでいる「日本移民観光ルート」のPRビデオを流し、説明した。
 六月初旬、聖市EXPO・CENTER・NORTEで開かれ、全伯百十一の自治体が参加した「観光EXPO」。
 イグアッペ、レジストロ、セッテ・バーラス、ジュキアー、ミラカツー、ペドロ・デ・トレード、イタリリ。サントス・ジュキア沿線七市の「日本移民街道」。地元の祭や自然の景観を売り物にした地方が目立つ中で、独自のPRとして注目を集めた。
 「イラッシャイ!」。レジストロ市の近岡マヌエル開発局長。ハッピ姿で一万枚のビラを配りきった。
 生まれも育ちもレジストロ。デカセギで多くの仲間がこの地を後にするなか、一度も町を出ることはなかた。市議も長く務めた。
 「お客さんが来ると、ここに案内するんですよ」。茶畑が連綿と続く緑の海。霧がかった森に溶けていく夕日の赤を見つめる近岡局長の横顔に、地元への愛着と矜持がのぞいた。
 「レジストロをブラジル一の日本町にしたい」と話すのは、クロヴィス・メンデス市長。非日系として二番目の文協会員でもある。
 同地コロニアと市との結びつきは強い。イベントなどは、ほぼ共催。同市日本移民入植八十年を迎えた九三年の鳥居、十年後の文協会館建設にも全面協力した。
 日本風の建築で他文協との差別化を図った会館をデザインしたのは、高橋国彦現文協会長。壁面に窓を多く取り入れ、塀は設けなかった。
 「反対されましたね。でも、建設以来二年間、一枚のガラスを割られたこともないし、落書き、トラブルは一切ない」と胸を張る。
 日本的な公共意識を芽生えさせたい――。そんな思いもあった。
 「日系社会は財産。市にそういう誠意があるから、市民も分かってくれる」。メンデス市長は、コロニアと二人三脚で歩むレジストロを強調する。
 町の象徴ともなっている鳥居からほど近くに、水難で亡くなった供養する慰霊碑がひっそりと立っている。リベイラ川は氾濫を繰り返してきた。九七年には旧市街が二メートルも水没する水害に見舞われた。
 「今までは川に背を向けてきた。けど、これからは共にやっていくべき」。
 リベイラ川の旧港を見つめる山村前会長。自らもかつて、ジュキアーを出発した船から降り立った場所。移住地への道は川だった。
 レジストロは川から生まれた町――。メンデス市長の言葉に、漂えど沈まない灯ろうの光を見た。

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