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〜OBからの一筆啓上〜汚いルア=神田大民(元パ、日毎、ニッケイ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年5月4日付け

 サンパウロ市内で最も汚いルアの一つ、ガルボン・ブエノ街。特に文協ビル脇は生ゴミが散乱、饐えた悪臭ふんぷん、通る人たちは顔をそむける。名所の赤鳥居の辺りにもゴミ袋が捨てられている。いくつかの年中行事がブラジル人の間にも知られて、週末の散策客、買い物客も近年増える一途だ。東洋街の名で知名度が高い割に街の美化についての意識が低いのは情けない。
 インターネットでみると、「ゴミを捨てる行為」についての考察はいろいろある。汚いガルボン・ブエノ街に当てはまるところが少なくない。まず「どんな人がゴミを捨てるのか」だが、社会常識に欠ける人、問題意識のない人、だそうだ。つぎに「いつ捨てるのか」、それは、人目につかない時間、つまり深夜や早朝。そのつぎは「捨てる場所」、考察では人目につかないところ、なのだが、ガルボン・ブエノ街の場合は堂々と?公道だ。人目につかない所まで捨てに行くのは、労力のムダだ、といわんばかりである。
 さて、「どうすればゴミの不法投棄がなくなるか」の施策。行政が罰則を設ける、監視カメラを要所にとりつける、社会問題としてメディアに訴え、住民のモラルを高める、などが挙げられるが、対象がしぼりにくそうだし、実行は不可能に近い。もう一つ、ゴミを有償にして行政がお金を支払う、というのがある。これは、ばっちり奏功しそうだが、行政はまず間違いなく支払わないだろう。
 ここで、待てよ、と思う。ゴミを捨てる人たちは、自身の行為を不法投棄とは思っていないのではないか、ということだ。細かいことをいえば、自分たちはゴミをちゃんとビニール袋に入れて捨てている、袋を破って散らかすのは漁りに来る連中だ、と。ただ、ゴミ出しする時間と収集車が来る時間が噛み合っていないのははっきりしている。
 文協ビル脇がひときわ汚いという最初に話を戻すと、捨てる人は、自分の〃家(店)の前〃に袋を置かない。ゴミの捨て場と指定されたわけでもあるまいに、誰の家の前でもない文協ビル脇を選ぶ。誰からも直接苦情がないからだろう。ずるいのである。
 先日、面白いことがあった。文協に賓客が来訪した日のことである。役員たちが黒塗りの乗用車をサンジョアキン街の正面玄関前で、迎え送りしていた。その時間の前後、なぜか例のビル脇の汚いガルボン・ブエノ街は格好がつくほどに清掃されていた。偶然だったろうか。もちろん、翌日から元の木阿弥である。
 というわけで、心ある人は同街美化の妙案を考えているかもしれないが、先の見通しはいまのところない。やっぱり百年河清を待つ、なのだろうか。


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