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〜OBからの一筆啓上〜書くことの視界と視野=高橋幸春(元パウリスタ新聞記者)

ニッケイ新聞 2011年6月29日付け

 36年にもなる。私が初めてブラジルの土を踏んでから。
 将来教壇に立つ気はないかと、大学院に残るように言ってくれた教授もいた。差別問題を研究している教授について、卒論には日韓に横たわる問題を選んだ。しかし私はパウリスタ新聞の記者になる道を選択した。
 日韓の歴史に興味を持ち、学生時代に韓国を何度も訪ねた。そのレポートを雑誌に投稿し、ささやかだったが原稿料を稼いでいた。その方が自分の性格に向いていると思った。
 当時、在日韓国・朝鮮人は厳しい差別にさらされていた。私が大学に入る前年には、在日の学生が「抗議・嘆願書」を残して大学前の神社で焼身自殺をはかっていた。
 私自身、大学3年から4年にかけて、ある在日韓国人二世の女性と同棲していた。彼女は差別、民族、アイデンティティという言葉をしきりに口にした。彼女の苛立ちを受け止めることもできず、結局別れてしまった。
——差別を解消し、民族を乗り越える。
 どうすればそれが果たせるのか。多民族国家、移民の国で考えてみようと思った。
 パウリスタ新聞の記者時代に日系三世の女性と結婚した。彼女のルーツを辿りながら、三代、四代かけて日系ブラジル人というアイデンティティを確立していく様を「蒼氓の大地」という本にまとめた。
 別れた在日二世の元恋人は、その後、韓国の大学に留学を果たし、そこでの体験を小説として次々に発表した。在日韓国人としてのアイデンティティの不確かさ、そのことによる苦悩が滲み出る作品ばかりだ。その一つに純文学の賞としては最高峰の賞が贈られた。
 ブラジルに渡る前、彼女に言ったことがある。
「韓国系日本人、そんな生き方があってもいいのではないか」
 彼女は激しくそれを拒絶した。
 ブラジルで3年ほど暮らしただけだが、今では新たなアイデンティティを確立していくことが、実は民族的な対立を薄めたり、あるいはナショナリズムを抑えたり、国境の壁を低くすることにつながると考えている。
 私の視界、視野を広げてくれたのはブラジルであり、日系社会だと思う。一方、彼女は受賞後、一作も残さず病気で急逝した。ブラジルのありようを見ていたら、どんな作品を書いたのだろうかと、ふと思うことがある。


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